所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐HD001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐AM001 |
所在地 | No. | 史跡名 |
ワンポイント・メモ |
指定 |
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西磐井郡 |
Z‐IW001 | 金鶏山 | 中尊寺と毛越寺の中間に位置する信仰の山。山頂に雄雌一対の金の鶏を埋めたことに因む。 | 世遺 |
Z‐IW003 | 卯の花清水 | 曽良が詠んだ「卯の花に兼房みゆる白毛かな」の句による。 | ||
奥州市 | Z‐IW002 | 七日市場 | 奥州藤原全盛期に平泉のなかでも最も繁盛した市場。 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐AT001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐YG001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐MG001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐FS001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐TK001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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鎌倉市 | Z‐KN001 | 稲村ヶ崎 | 由比ヶ浜と七里ヶ浜の境界で鎌倉討幕の際に新田義貞軍が越えたという伝説がある。 | |
Z‐KN002 | 日蓮袈裟掛けの松跡 | 1271年9月12日の深夜、日蓮が龍ノ口の刑場へ向かう途中、袈裟を血で染めるのは恐れ多いと、この辺りにあった松の枝に掛けたとされる。現在は松はなく石碑が建つのみである。 | ||
Z‐KN003 | 極楽寺坂切通し | 鎌倉七口のひとつ。神奈川県鎌倉市の極楽寺方面から由比ヶ浜方面に抜ける切通しである。鎌倉時代後期に極楽寺の僧・忍性が最初に切り開いたとされる。1333年、新田義貞軍はここを突破できず稲村ヶ崎の海岸線から鎌倉へ侵入した。 | ||
Z‐KN004 | 亀ヶ谷坂切通し | 鎌倉七口のひとつ。現在の神奈川県鎌倉市山ノ内から扇ガ谷を結ぶ坂道で、鎌倉時代後期までには、現在の位置に切通しがあったことは確かである。 | 国 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐ST001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐CB001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐IR001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐TG001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐GM001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐YN001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐NN001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐NG001 |
所在地 | No. | 史跡名 |
ワンポイント・メモ |
指定 |
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浜松市 | Z‐SZ001 | 井伊共保出生の井戸 | 往古から井伊氏の始祖である井伊共保公出生の井戸として伝承されている。 | 市 |
Z‐SZ002 | 御前谷太刀洗の池 | 家康の正室・築山御前を斬った太刀を洗った池とされる。 | ||
Z‐SZ003 | 徳川秀忠産湯の井戸 | 1579に二代将軍となる徳川秀忠が生まれたときに使われた産湯の井戸とされる。 | ||
Z‐SZ004 | 賀茂真淵生誕の地 | 江戸時代の国学者で歌人の賀茂真淵が生まれたところ。 | ||
Z‐SZ005 | 米津台場跡 | 幕末に外国船の出没に備えて築かれた台場。 | 市 | |
Z‐SZ006 | 天白磐座遺跡 | 日本屈指の規模をもつ古墳時代に巨石群を神の依代とした古代祭祀遺跡。 | 県 | |
Z‐SZ008 | 凱旋紀念門 | 1906年3月、日露戦争(日清戦争も含む)に勝利した記念に建立されたレンガ造りの凱旋門である。幅3.2m,高さ3.6mで、石造柱脚の上に石柱が立ち上がり欠円アーチを挟み込み、柱頭には鋸歯飾りがみられる。 | ||
Z‐SZ009 | 亀之丞の隠れ岩 | 1545年、亀之丞(のちの井伊直親)9才の時に家老・小野政直の陰謀から身の危険を感じ、家来の今村藤七郎に連れられ井伊谷から信濃へ逃亡の途中に身を隠した場所である。 | ||
Z‐SZ010 | 仏坂十一面観世音菩薩 | 起源は詳らかではないが、霊亀年間(715~717年)に行基によって彫られた木仏像とされる。仏坂の戦いの難を逃れ、1789年に仏坂に帰座した。11年に1度の御開帳である。 | ||
Z‐SZ011 | 本坂一里塚 | 江戸から72里目(約283km)の姫街道における一里塚である。現在は南側の塚は消滅したが、北側の塚はほぼ完全に残っている。塚の前には数基の馬頭観音が祀られている。 | ||
Z‐SZ012 | 三ヶ日一里塚 | 江戸から71里目(約279km)の姫街道における一里塚である。当時は街道をはさんで両側に五間四方の土盛りがあった。 | ||
掛川市 | Z‐SZ007 | 平塚刑場跡 | 1581年3月、高天神城が陥落し捕らえられた名のある捕虜が処刑されたと場所とされる。 | |
Z‐SZ013 | 西郷局生誕の地 | 1552年、のちに徳川家康の側室となり、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の母となる西郷局(於愛の方)の生誕地である。父とされる戸塚忠春の居館跡でもある。 |
所在地 | No. | 史跡名 |
ワンポイント・メモ |
指定 |
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名古屋市 | Z‐AC006 | 七里の渡し〔熱田宿〕 | 江戸時代の東海道唯一の海上路「七里の渡し」の宮宿側の渡船場跡。 | |
Z‐AC007 | 豊臣秀吉生誕の地 | 1537年、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は尾張国愛智郡中村にて生まれた。生誕地は現在の名古屋市中村区内の何処は特定はできていない。常泉寺のほか、現在の中村公園内,中村中町や下中村町も候補地とされる。 | ||
Z‐AC008 |
加藤清正生誕の地 |
1562年、加藤清正は妙行寺の近くで生まれ育ったとされ、1610年の名古屋城築城の際に築城の余材と普請小屋を貰い受け、妙行寺を自分の生誕地に移築,再建した。 | ||
Z‐AC009 |
前田利家生誕の地 |
1539年、前田利家は尾張国海東郡荒子村に生まれた。生誕地については荒子城と前田城の2つの候補地があるが、現在の名古屋市中川区が生誕地ということになる。 | ||
Z‐AC011 |
柴田勝家生誕の地 |
生年は諸説あるが、柴田勝家の生誕地で下社城跡でもある。 | ||
Z‐AC020 | 高射砲砲台跡 | 工事中 | ||
Z‐AC043 | 歩兵第六連隊跡 | 1872~4年に名古屋城全部が陸軍省の所管とされ、1874年に第六大隊から歩兵第六連隊が改編された。二の丸に第六連隊兵舎が設置され、明治村に一棟が移築されている。乃木倉庫,第三師団司令部跡の煉瓦塀などが残る。 | ||
Z‐AC044 | 笠寺一里塚 | 1604年、一里塚は徳川家康が秀忠に命じ大きな街道の1里(約3.927㎞)毎に設置された。笠寺一里塚は東海道の一里塚の一つで日本橋から88里にあたり、名古屋市内を通る旧東海道に残る唯一の一里塚である。 | ||
一宮市 | Z‐AC019 | 冨田一里塚 | 東海道の宮宿(熱田)と中山道の垂井宿を結ぶ美濃路に設置された13ヶ所の一里塚の1つ。道の両側に現存するのは美濃路では当塚だけである。 | 国 |
Z‐AC031 | 山内一豊生誕の地 | 法蓮寺の入口に山内一豊公出生之地の石碑がある。しかし、一豊の生誕地には尾張国岩倉説と一宮の黒田城説がある。また、生年も1545年と1546年の2説がある。 | ||
あま市 | Z‐AC012 | お松の方生誕の地 | お松の方は1547年7月9日、尾張国海東郡沖島に篠原一計の娘として生まれた。父の死去後は母の妹が嫁いでいる前田利昌に養育され、利昌の子で従兄弟の前田利家に嫁ぐことになる。 | |
小牧市 | Z‐AC026 | 岩崎山 | 古墳時代からの石材産地であり、小牧長久手の戦いでは秀吉方の砦が置かれた。 | |
犬山市 | Z‐AC055 | 有楽苑 | 織田有楽斎の国宝茶室「如庵」,重要文化財「旧正伝院書院」,古図により復元された「元庵」などを包含する日本庭園である。庭園自体は建築家・堀口捨己氏の監修によって1972年に築造された。 | |
豊明市 | Z‐AC032 | 二村山 | 平安時代の昔から街道一の名勝地として知られ、歌枕ともなり数多くの歌や紀行文の題材にされてきた。切られ地蔵尊,峠地蔵尊など山頂から山麓にかけて歌碑や石碑がいくつか残されている。 | |
Z‐AC033 | 二村山鎌倉街道 | 1601年に東海道が制定されるまでの京都と鎌倉を結ぶ主要幹線道路である。熱田,呼続,古鳴海,相原を経て二村山を通り、宿,十三塚,大久伝,西境,駒場を経て八橋に至る。 | 市 | |
Z‐AC037 | 阿野一里塚 | 東海道交通の要衝であった鳴海,池鯉鮒間の街道両側に位置する日本橋から86番目の一里塚である。幕府指示により永井白元と本多光重によって築かれた。 | 国 | |
東海市 | Z‐AC005 | 細井平洲生誕の地 | 1728年、細井平洲はここ尾張国知多郡平島村の農家に生まれた。幼くして学問に励み、1763年には上杉治憲(後の鷹山)の師となる。吉田松蔭や西郷隆盛にも影響を与えた。 | |
刈谷市 | Z‐AC048 | 本刈谷貝塚 | 本刈谷神社境内から近隣にかけた三河地方最大の縄文晩期貝塚である。浅瀬の砂泥質を好むハイガイが約70%出土するほか、元刈谷式土器と称される土器類,人骨,獣骨,鳥骨などが出土している。三河湾沿岸地域に特徴的な盤状集骨墓も発掘されている。 | 県 |
碧南市 | Z‐AC038 | 永井直勝生誕の地 | 1563年、永井直勝は長田重元の次男として三河国碧海郡大浜郷の重元の屋敷に生まれる。小牧長久手の戦いでは、敵将・池田恒興を討ち取る大功を挙げた。 | |
知多郡 |
Z‐AC045 | 飯喰場 | 1554年、織田信長・水野信元の連合軍が村木砦の戦いの後、信長が兵を労い、戦勝祝いを行った場所とされる。現在は森岡新池公園となっている。 | |
Z‐AC047 | 入海貝塚 | 入海神社の境内にある約7000年前の縄文時代早期の貝塚である。ハイガイを中心とした貝類のほかシカやイノシシの獣骨、土器や石器,骨角器,土偶,石の鏃も出土している。入海式土器の標式遺跡である。 | 国 | |
知多郡 |
Z‐AC035 | 長田父子磔の松 | 1159年、平治の乱に敗れた源義朝一行を騙し討ちした長田忠致,景致父子は、後に源頼朝に仕えるが、平家追討後に頼朝の命によって処刑されたという言い伝えに基づく場所である。忠致が約束された恩賞の「美濃尾張」は、「身の終わり」であった。 | 市 |
Z‐AC060 | 源義朝横死の湯殿跡 | 1160年1月3日、平治の乱で敗れた源義朝が長田忠致の裏切りに遭い、横死した湯殿跡である。 | 町 | |
Z‐AC061 | 乱橋跡 | 1160年1月3日、源義朝が長田忠致の家臣により御湯殿で謀殺された際、義朝従者と忠致の家臣が戦った場所とされる。 | 町 | |
知多郡 |
Z‐AC017 | 唐人お吉生誕の地 | 初代アメリカ総領事ハリスの世話をし数奇な運命をたどった唐人お吉の生誕地。 | |
Z‐AC062 | 内海砲台跡 | 1854年、尾張藩が師崎砲台と共に知多半島に設置した台場である。備砲は尾張藩士で砲術家の上田仲敏が担当し、内海の標高30mの丘陵上に置かれていた。海岸線との連絡のための切通しが残る。 | ||
Z‐AC063 | 内海烽火台跡 | 1854年、沿岸警備強化のため尾張藩によって知多半島に設置された烽火台のひとつである。標高128mの山頂に設置された。遺構は残されていない。 | ||
Z‐AC064 | 師崎砲台跡 | 1854年、尾張藩が内海砲台と共に知多半島に設置した台場である。備砲は尾張藩士で砲術家の上田仲敏が担当し、師崎先端の丘陵上に置かれていた。林崎公園となっている。 | ||
Z‐AC065 | 師崎烽火台跡 | 1854年、沿岸警備強化のため尾張藩によって知多半島に設置された烽火台のひとつである。師崎砲台跡と同じ場所である。現在、遺構は残されておらず林崎公園となっている。 | ||
Z‐AC066 | 大井烽火台跡 | 1854年、沿岸警備強化のため尾張藩によって知多半島に設置された烽火台のひとつである。標高53mの丘陵に設置された。3.5m四方の竈壁の一部が残されている。 | ||
Z‐AC0637 | 弘法大師上陸地 | 814年、弘法大師(空海)が諸国行脚の途中に三河から船で渡り、上陸したとされる伝承地である。大井漁港入口の磯に弘法大師像が建つ。 | ||
知立市 |
Z‐AC036 | 来迎寺一里塚 | 来迎寺集落を通る旧東海道の左右に設けられた一里塚である。右塚(北塚)は西側がやや崩れているものの一里塚の原形をよく保っている。塚には黒松が植えられている。左塚(南塚)は塚の半分ほどが崩され原形を失っている。 | 県 |
安城市 | Z‐AC025 | 堀内貝塚 | 縄文時代晩期(約2700年前)の貝塚,墓および鎌倉時代の建物跡,墓である。 | 市 |
Z‐AC029 | 高木氏発祥地 | 室町時代のはじめに高木宣光が三河国碧海郡牧内に移り住んだ。その子・高木清秀は水野信元に従って活躍し、1563年の三河一向一揆では、松平元康を救援するために一揆勢を相手に奮戦し、元康から高木氏の故地である高木の地を与えられた。 | 市 | |
Z‐AC030 | 桜井戸跡 | 古井,藤井,浅黄井とともに三河四名井と称される。一説に、厩戸皇子が桜の木の下を杖で掘られたところ清水が湧き出たとされ、「桜井戸」と呼ぶようになった。さらに、空海が詠んだ歌が地名「桜井」の起源になったとされる。 | ||
岡崎市 | Z‐AC002 | 大久保氏一族発祥地 | 三河譜代の臣として徳川家に仕えた大久保一党の屋敷があったところ。 | |
Z‐AC003 | 土井氏一族発祥地 | 戦国期には早乙女利重,土井利昌が三河に移り住み、地名をとって土井姓を名乗る。土井利勝は利昌の養子となり徳川家に仕えた。発祥地には「土井氏一族発蹟地」の碑が立つ。 | ||
Z‐AC021 | 御草紙掛けの松 | 徳川家康が幼少の頃、手植えし手習いの草紙を掛けたとされる松(4代目)。 | ||
Z‐AC022 | 大平一里塚 | 東海道の日本橋から80里にあたる。本多成重が築いた。 | 国 | |
Z‐AC023 | 板倉勝重生誕の地 | 京都町奉行(後の京都所司代)となった板倉勝重が生まれたところ。 | ||
Z‐AC024 | 鳥居氏一族発祥地 | 松平家家臣に三河武士精神を植え付けた鳥居氏一族の本拠地。 | ||
Z‐AC054 | 本多忠勝生誕の地 | 1548年に本多忠勝が生まれたところ。平八郎家の御子孫宅に本多平八郎忠勝誕生地の石碑が立つ。 | 市 | |
Z‐AC056 | 渡辺高綱戦死地 | 1564年1月17日、三河一向一揆における針崎の戦いで敗れた渡辺高綱が戦死した地とされる。勝鬘寺にある。 | ||
Z‐AC057 | 本多重次生誕の地 | 1529年、本多重次は本多重正の2男としてこの地に生まれた。松平宗家,徳川家康に仕え、通称は作左衛門といい、鬼作左とも綽名されたが、行政面の手腕は皆を驚かせたという。数々の逸話が残る。 | ||
Z‐AC058 | 紫石伝説の地 | 浄瑠璃姫の父・兼高長者が八幡社に奉納した紫石が埋まると伝わる所。兼高は娘の死の悲しみと娘への想いを「紫石」に託し八幡社に奉納したが、幾度かの水難で地中深くに埋もれてしまったという。 | ||
Z‐AC069 | 築山殿想定地 | 徳川家康の正室・築山御前の屋敷があったと推定されている場所である。現在のNTT西日本岡崎ビルや岡崎康生郵便局の辺りにあったとされる。当地は築山と呼ばれていた。 | ||
Z‐AC070 | 籠田総門角常夜燈 | 1798年、石工の七左衛門によって造られ、籠田総門付近に建立された常夜燈である。町内と旅人往来の安全の灯として要所に建立された岡崎城下3番目のものである。幾度が移転後、1981年に現在地に移った。 | ||
豊田市 | Z‐AC001 | 行良親王袈裟掛け石 | 後醍醐天皇の孫とされる行良親王が袈裟をかけた石と伝わる。 | |
Z‐AC004 | 榊原康政生誕の地 | 1548年、徳川四天王の一人となる榊原長政が産声を上げた上野上村城跡。 | ||
Z‐AC042 | 13番稲橋防空監視哨 | 第二次世界大戦中の1942年、夏焼城ヶ山山頂に敵機を遠く発見し防衛司令官に報告するための監視哨が建てられた。 | ||
Z‐AC059 | 十六羅漢 | 1777年、則定陣屋の久世勘太夫が釈迦如来坐像と16人の羅漢像を祀った。また、この場は慈本豪英尼が1831年から1833年にかけて千日間の火断ちの念仏修行を行ったところでもある。 | ||
西尾市 | Z‐AC027 | 黄金堤 | 吉良義央が水田地帯の住民を救うために一夜で築堤させたという伝承がある。 | |
Z‐AC028 | 今川氏発祥地 | 承久の乱の褒賞として足利義氏に三河国守護職が与えられ、その庶子長氏には吉良荘が与えられた。長氏の次男・国氏が三河国幡豆郡今川荘を領し今川氏を名乗って今川氏の祖となった。 | ||
Z‐AC034 | 松平清康仮葬地跡 | 1535年、松平清康が守山崩れで惨殺されると、秘密裏に清康の遺骸を運び長縄城の近くに仮埋葬したと伝えられる。1795年に土中から松平清康公と彫られた五輪塔が掘り出され、幕府はここを清康の仮葬地とした。 | ||
Z‐AC039 | 加藤嘉明生誕の地 | 1563年、「賤ヶ岳七本槍」の一人に加藤嘉明が生まれたところ(上永良城跡) | ||
Z‐AC040 | 王塚之古跡 | 1156年の保元の乱で讃岐配流となった崇徳上皇の第一皇子である重仁親王に関する史跡とされるが、詳細は不明である。 | ||
Z‐AC068 | 一色氏発祥の地 | 足利泰氏の子・公深が三河国吉良荘一色を本貫とし一色公深を名乗り始祖となった。「一色氏発祥之地」の碑が安休寺の北隣に建つ。 | ||
額田郡幸田町 | Z‐AC041 | 茶臼山高射砲跡 | 標高291mの茶臼山山頂に設置された高射砲台の跡とされる。詳細は不明。 | |
豊川市 | Z‐AC013 | 御油の松並木 | 1604年、徳川家康が国奉行の大久保長安に命じて五街道に並木を整備させた。江戸時代中期には旧東海道御油宿と赤坂宿の間には約650本の松が植樹されていた。現在は271本(2003年時点)の松の木が立ち並ぶ。 | |
Z‐AC014 | 羽衣の松 | 天皇践祚後の大嘗会に使われる天羽衣の調進役を勤める星野家に絡めた伝説。 | ||
Z‐AC015 | 御関札立掛場跡 | 御油宿に残る御関札の設置場所跡である。御関札とは、諸藩の大名が宿泊先(御休先)となる宿場の出入り口に宿泊年月日・藩主名・出向く先を記入し、立掛けられた看板である。 | ||
Z‐AC016 | 長沢の三尊種子板碑 | 愛知県内最古の中世の卒塔婆で梵字が刻まれている。 | 市 | |
Z‐AC046 | 権現山砲台跡 | 豊川海軍工廠の防衛のために、1944年秋ないしは初冬から工事が開始されたが、1945年8月7日に海軍工廠が大規模爆撃で壊滅したことで工事は中止された。砲台設置用の円形の穴跡が残る。 | ||
Z‐AC049 | 樫王貝塚 | 国道1号線の掘り割り工事で発見された縄文時代晩期の遺跡で貝塚からは主にシジミが出土した。また縄文時代晩期最末の条痕文系土器「樫王式土器」は三河編年標式として制定された。 | ||
Z‐AC050 | 菟足神社貝塚 | 菟足神社西側および隣接する川出氏宅の敷地一帯にある縄文時代晩期(約3000年~2500年前)の貝塚である。2023年4月、史跡公園「菟足神社貝塚公園」が完成した。 | ||
Z‐AC051 | 赤坂刑場跡 | 慶安(1648~51年)の頃に創設された赤坂代官所の刑場跡で、数百人の罪人がここで処刑されたという。1870年に廃止。1836年の三河農民大一揆の首導者が含まれている。 | ||
Z‐AC052 | 舞々辻 | この辺りは舞々辻とよばれ、伊奈城歴代の城主の墓所があった。出土した多数の五輪塔や宝篋印塔などは東漸寺の墓地に納められ、1992年に伊奈城主五代の墓所として整備された。 | ||
Z‐AC053 | 平井稲荷山貝塚 | 稲荷山頂上部の稲荷社内を中心にハマグリを主体とした縄文時代晩期の貝塚である。1900年、平井の大林意備翁によって発見,発掘調査が行われた。 | ||
豊橋市 |
Z‐AC010 | 山本勘助晴幸生誕の地 | 武田信玄の名軍師として知られる山本勘助晴幸の生誕の地とされる。ただ、出生地については三河説と駿河説がある。 |
所在地 | No. | 史跡名 |
ワンポイント・メモ |
指定 |
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大垣市 | Z‐GF006 | 頼山陽の碑文 | 頼山陽と親交のあった沢井長愼が父の墓銘を頼山陽に依頼し書いてもらったもの。明台寺の墓地にある。頼山陽は江戸時代後期の歴史家・思想家・漢詩人・文人。 | 町 |
可児市 | Z‐GF001 | 土田御前生誕の地 | 織田信秀の継室となり信長,於市らの生母となった土田御前の生まれたところ。 | |
Z‐GF002 | 兼山湊跡 | 木曽川上流域唯一の商用港で戦国時代には森氏の政治的,軍事的要衝でもあった。 | 県 | |
Z‐GF004 | 春秋園庭園 | 春秋園は千村家の西荘という千村氏屋敷北側にあった庭園。 | 市 | |
美濃加茂市 | Z‐GF007 | 坪内逍遥生誕の地 | 1859年5月22日、坪内平右衛門信之と妻ミチの間に10人兄弟の末っ子として生まれた小説家,評論家,翻訳家,劇作家の坪内逍遥の生誕地である。 | |
恵那市 | Z‐GF003 | 明智光秀学問所跡 | 明智光秀が若い頃に京都嵯峨天竜寺の勝恵という学僧を招き、学問に精進したところとされる万ヶ洞天神神社である。 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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桑名市 | Z‐ME001 | 七里の渡し〔桑名宿〕 | 1616年、東海道における唯一の海上路として熱田宿と桑名宿を結ぶ七里の渡しが始まった。宮宿,桑名宿は渡船場として賑わった。ここにある大鳥居は、「伊勢国一の鳥居」と称されている。 | 県 |
Z‐ME006 | 諸戸水道貯水池遺構 | |||
津市 | Z‐ME002 | 平氏発祥伝説地 (忠盛塚) |
忠盛塚と呼ばれるこの地は平忠盛が生まれた所といわれ、忠盛の胞衣塚や産湯に使ったという産湯池があり、伊勢平氏発祥伝説地とされている。 | 県 |
Z‐ME003 | 真盛上人生誕の地 | 真盛上人は1443年、伊勢国一志郡仰木に小泉藤能の子として生まれた。天台宗真盛派の祖となり、諡号は円戒国師,慈摂大師。伝承によると、真盛上人が逝去した1495年に生誕の館近くに華香寺が建てられ、1872年に廃絶されたのち、1881年に誕生寺として再興されたという。 | 県 | |
Z‐ME005 | 北畠氏館跡庭園 | 北畠晴具の義父の管領細川高国が造った池泉観賞様式の武家書院庭園。 | 国 | |
松阪市 | Z‐ME004 | 天白遺跡 | 西日本では珍しい縄文時代後期中葉~晩期初頭の大規模配石遺構である。配石遺構30基,埋設土器26基,焼土30基が確認されているが、住居等は現在まで確認されていない。大規模な葬送儀礼や遺物の廃棄儀礼など様々な祭祀行為が行われていたと推定される。 | 国 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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坂井市 | Z‐FU001 | 東尋坊 | 新生代第三紀中新世に起こった火山活動での火山岩が侵食を受け地上に現れたものとされている。「東尋坊」の名は、1182年、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買い、この断崖から海へ突き落とされた平泉寺の僧・東尋坊に由来する。 | |
敦賀市 | Z‐FU002 | 柴田氏庭園 | 工事中 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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小松市 | Z‐IK001 | 安宅関 | 工事中 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐TY001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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大津市 | ZーSG006 | 志賀の大仏 | 京都と大津を結ぶ志賀の山越の途中にある往来人の安全を祈願した阿弥陀如来坐像。 | 市 |
ZーSG008 | 居初氏庭園 | |||
蒲生郡 |
ZーSG007 | 源義経元服の地 | 1174年、鞍馬寺に預けられていた遮那王が奥州平泉の藤原秀衡のもとへ向かう途中に、ここ鏡の宿で元服したと伝えられている。 | |
高島市 | ZーSG001 | 信長の隠れ岩 | 織田信長が浅井長政の裏切りで京都へ引き返す「朽木越え」で一時身を潜めた岩。 | |
長浜市 | ZーSG002 | 浅井長政自刃の地 | 1573年9月1日、織田信長軍の小谷城攻めにおいて浅井長政が自刃した場とされる。城内の赤尾屋敷跡にある。 | |
ZーSG003 | 石田三成産湯の井戸 | 1560年、石田三成が生まれたときに産湯の水を汲んだ井戸とされる。 | ||
ZーSG004 | 大谷市場跡 | 小谷城城下町の西に延びる北国脇往還の両側にあったと考えられている。長浜城下の大谷市場町は、この大谷市場を移した町といわれている。 | ||
ZーSG005 | 和田宇仲池跡 | 江戸時代中期に小室藩家臣団の屋敷跡に造営された古池の南側にある和田宇仲邸宅内に造られた井戸である。現代まで永く生活用水として用いられてきた。 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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京都市 | ZーKT001 | 船岡山 | 工事中 | |
ZーKT002 | 猿が辻 | 工事中 | ||
ZーKT003 | 耳塚(鼻塚) | 豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、戦功の証の朝鮮,明国兵の耳や鼻を葬った塚。 | ||
ZーKT004 |
一乗寺下り松 |
工事中 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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奈良市 | ZーNR001 | 一刀石 | 花崗岩の中央に亀裂があり、柳生宗厳が天狗と戦った跡という伝説がある。 | |
ZーNR009 | 十兵衛杉 | 柳生十兵衛三厳が寛永年間(1624~43年)の初め頃に武者修行のため諸国行脚に出かける際に植えたと伝わる。1973年の落雷により杉の木は枯死してしまったが、現在も柳生の里のシンボルとなっている。 | ||
ZーNR010 | 正長元年柳生徳政碑 (疱瘡地蔵) |
1428年の正長の土一揆によって徳政令を勝ち取った郷民が、地蔵菩薩立像(通称:疱瘡地蔵・1319年の刻銘)を彫り出した花崗岩の巨石に27文字の碑文を刻んだものである。 | 国 | |
ZーNR002 | 鬼の俎・鬼の雪隠 | 薄葬令にあわせて造られた横口式石槨の部品。霧に迷った通行人を鬼が俎で料理しては雪隠で用を足したという伝説がある。 | ||
ZーNR015 | ハジカミ池 | 工事中 | ||
桜井市 | ZーNR013 | 土舞台 | 612年、百済から帰化した味摩之が呉国で学んだ伎楽の舞を厩戸皇子に申し上げた。皇子は桜井の地に少年を集めて、この伎楽の舞を伝習させたという。「土舞台」と刻した標石が建てられている。 | |
高市郡 |
ZーNR003 | 亀石 | 築造年代,用途も不明。境界を示す標石や亀の供養という伝説がある。 | |
ZーNR004 | 金屋の石仏 | 釈迦如来と弥勒菩薩が高さ2.2mの粘板岩に刻まれている。 | ||
ZーNR005 | 海石榴市 | 工事中 | ||
ZーNR006 | 弥勒石 | 村民が仏様のような石を飛鳥川から引き上げお祀りした。下半身の病気が治ると伝わる。 | ||
ZーNR007 | 水落遺跡 | 中大兄皇子が造ったわが国初の水時計の跡とされる。 | 国 | |
ZーNR008 | 石神遺跡 | 7世紀代に造営が繰り返され、須弥山石と石人像が出土した遺跡。 | ||
ZーNR011 | マラ石 | 宮域を示す標石,橋脚として利用されたなどの説があるが用途は不明。 | ||
ZーNR012 | 酒船石 | 7世紀頃に人工的に造られた花崗岩の石造物で、上面に皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている。用途については酒あるいは薬などを造る設備など多くの仮説が唱えられているが定かではない。 | 国 | |
ZーNR014 | 中臣鎌足生誕地 | 工事中 | ||
ZーNR016 | 難波池 | 物部尾輿らが蘇我稲目のもつ仏像を投げ込んだ堀江とされる。 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐WK001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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大阪市 | Z‐OS001 | 島津忠久生誕伝承地 | 工事中 | |
南河内郡 |
Z‐OS002 | 楠木正成生誕の地 | 1294年頃、楠木正成が生まれたところ。 | |
Z‐OS003 | 楠木正成産湯の井戸 | 楠木正成誕生の際にこの井戸から湧き出る水を沸かし産湯としたとされる。 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐HG001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐OY001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐HS001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐TT001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐SN001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐YC001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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徳島市 | Z‐TS001 | 城山貝塚 | 徳島城内にある縄文時代後期~弥生時代前期に亘る複数の遺跡のひとつ。 | 市 |
所在地 | No. | 史跡名 |
ワンポイント・メモ |
指定 |
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東かがわ市 | Z‐KG001 | 蕪越狼煙場跡 | 江戸時代末期に異国船の渡来を告げるために高松藩が築いた狼煙場の一つ。蕪越狼煙場は蕪越山に築かれており燃やし穴跡が現存している。 | 市 |
Z‐KG002 | 蕪越遠見番所跡 | 江戸時代末期に異国船の渡来を告げるために高松藩が築いた海防施設のひとつ。蕪越狼煙場の北側に位置する。 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐EH001 |
所在地 | No. | 史跡名 |
ワンポイント・メモ |
指定 |
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高知市 | Z‐KC001 | 坂本龍馬生誕の地 | 1835年11月15日、坂本龍馬は高知城下の上街本町に生まれた。龍馬が生まれる前の晩に、母親が龍が天を飛ぶ瑞夢を見て、それにちなんで龍馬と名づけられたという。 | |
Z‐KC002 | 後藤象二郎生誕の地 | 1838年4月13日、後藤象二郎は高知城下片町に生まれた。親戚筋の板垣退助とは竹馬の友であった。坂本龍馬と手を握り、山内容堂に説いて大政奉還を実現させ、維新以後は逓信大臣,農商務大臣を歴任した。 | ||
Z‐KC003 | 山内容堂生誕の地 | 1827年11月27日、山内容堂(豊信)は土佐藩の分家であった南屋敷に生まれた。15代藩主の座に就くと、その政治手腕により幕末の四賢候のひとりに評された。1867年には将軍・慶喜に大政奉還を建白している。 | ||
Z‐KC004 | 板垣退助生誕の地 | 1837年5月21日、板垣退助は高知城下中島町に生まれた。坂本龍馬や武市瑞山とは親戚、後藤象二郎とも遠縁にあたる。明治維新後、国会開設と自由民権運動へ奔り内閣にも入閣が、立憲政友会の創立とともに政界を引退した。 | ||
Z‐KC005 | 武市瑞山殉節の地 | 1865年7月3日、武市瑞山が切腹した南会所大広庭付近に碑が建つ。土佐勤王党の盟主となり尊皇攘夷運動の中心的役割を担ったが、八月十八日の政変による政局急転で投獄される。長い獄中闘争の末、山内容堂に切腹を命じられた。 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐FK001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐SA001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐NS001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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中津市 | Z‐OT001 | 青の洞門 | 工事中 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐KM001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐MZ001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐KS001 |
所在地 | No. | 史跡名 | ワンポイント・メモ | 指定 |
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Z‐OK001 |