有楽苑
うらくえん(Uraku-en Garden)
【Z-AC055】探訪日:2016/4.2
愛知県犬山市御門先1番地
【MAP】
〔駐車場所〕
織田有楽斎(信長の弟)所縁の国宝茶室「如庵」、重要文化財「旧正伝院書院」、古図により復元された「元庵」などを包含した犬山城の東にある日本庭園である。庭園自体は建築家・堀口捨己氏の監修によって1972(昭和47)年に築造された。
「如庵」は、1618(元和4)年に建仁寺の塔頭・正伝院が再興された際に建造された茶室である。一説によれば庵主・有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」または「Johan」から庵名が付けられたという。京都山崎の妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席三名席の1つである。
明治になり、永源庵跡地,東京の三井本邸に移築され、その後、1938(昭和13)年に三井高棟によって神奈川県中郡大磯の別荘に移築されたのち、1972(昭和47)年、名古屋鉄道によって堀口捨己の指揮の下で現在地に京都にあった時代の庭園を可能な限り再現した「日本庭園 有楽苑」として整備された。
「如庵」は、杮葺き入母屋風の妻を正面に向けた瀟洒な構えである。茶室の内部は二畳半台目で勝手口からは給仕の動線に沿って斜行する壁を立て、足元には三角形の板畳「鱗板」を敷く。また、篠竹を打ち詰めた「有楽窓」、古暦を腰に貼った「暦張り」も有名である。茶室の造り,独創的な工夫は千利休の草庵茶室とは違った有楽斎の武人らしい好みが反映されているといわれている。
このほか、「旧正伝院書院」は「如庵」に連なる有楽斎の入母屋造の隠居所であり、「元庵」は有楽斎が「如庵」より以前に大坂天満屋敷に構えた茶室を古図に基づいて復元したものである。三畳台目の間取りで、亭主床と呼ばれる床構えになっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】茶室「如庵」(1951年指定) 【国重文】旧正伝院書院 |
関連時代 | 江戸時代:前期 | 昭和時代:後期 |
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関連年号 | 1618年 | 1972年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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織田長益(有楽斎) | OD10 | 三井高棟 | F*** |
有楽苑案内図(名古屋鉄道「日本庭園 有楽苑」より)