歩兵第六連隊跡
ほへいだい6れんたいあと (The 6th Infantry Regiment Ruins)
【Z-AC043】探訪日:2018/4.22
愛知県名古屋市中区二の丸1
【MAP】
〔駐車場所〕
1872(明治5)年に名古屋城の本丸と二の丸、1874(明治7)年には三の丸全部が陸軍省の所管とされた。名古屋鎮台(のち第三師団)および第六大隊は1873(明治6)年に設けられ、1874年に第六大隊から歩兵第六連隊が改編された。第六連隊兵舎は二の丸に設置され、その兵舎はフランスの建築書を基に海外の例に学んで造られた。現在は愛知県犬山市の明治村に、方形の営庭を囲んで配されていた兵舎のうちの一棟が移築されている。御深井丸には、乃木希典が名古屋鎮台に在任していた明治初期に建てられたという通称「乃木倉庫」が残されている。陸軍の弾薬庫であったが、1945(昭和20)年5月14日の名古屋空襲の際には、本丸御殿の障壁画や天井絵類が庫内に保管されており被災を免れることができた。また、第三師団司令部跡の煉瓦塀が二の丸交差点の北西角に残されている。
1874年に編成された歩兵第六連隊は、1877(明治10)年には西南戦争に従軍している。さらに1894(明治27)年からは日清戦争に従軍し翌年に凱旋、1904(明治37)年に日露戦争にも従軍した。昭和に入ると、1934(昭和9)年4月の満州事変後に満州へ派遣され、1937(昭和12)年8月に動員下令、上海呉淞に上陸し、以後は各作戦に参加し終戦まで中国各地を転戦した。1945(昭和20)年8月15日に終戦を迎えると、8月23日早朝、軍旗を奉焼し「海行かば」を斉唱して訣別式を行った。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 明治時代 | 昭和時代:前期 |
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関連年号 | 1872年・1874年・1877年・1894年 | 1904年・1934年・1937年・1945年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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乃木希典 | G776 | 保 |
明治初期の名古屋城平面図
1942年2月のシンガポール陥落を祝い名古屋城本丸前を行進する学校報国隊