名古屋城跡

なごやじょうあと (Nagoya Castle Ruins)

【C-AC001a】探訪日:1990/9/1・2018/4/22・2022/3/5

【C-AC001a】名古屋城跡 愛知県名古屋市中区本丸1−1

【MAP】

〔駐車場所〕

   16世紀の前半、今川氏親が尾張進出のために築いた「柳ノ丸」が前身とされる。1538(天文7)年、織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名した。信秀は1542(天文11)年頃に古渡城に移り、那古野城は幼い信長に譲った。1555(弘治元)年に信長が清須城に本拠を移し、その後は叔父の信光に与えられるが家臣に殺害されたため、やがて廃城となった。
 1609(慶長14)年、徳川家康は9男・義直の尾張藩の居城として名古屋に城を築くことを定め、翌年閏2月、天下普請で開始する。普請奉行に滝川忠征,佐久間政実,牧長勝ら5名が任ぜられ、石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は普請助役として加藤清正が担当した。延べ558万人の工事役夫で8月末には天守台が完成し、9月頃には石垣を大方積み終え、遅い所も同年暮れまでには完成している。普請の後の建築に当たる作事は、大久保長安,小堀政一ら9名が担当し、大工頭は中井正清が起用された。1612(慶長17)年6月から本格的な建築工事が始まる。天守は11月21日に上棟式を実施し年内に完成という金物入札時期から組立工事は3ヶ月弱しか掛かっていない。本丸御殿の建築は、同年正月から始まり、完成したのは1615(元和元)年2月である。大阪冬の陣後の同年4月、義直と浅野幸長の娘・春姫の婚儀が行われ、家康も駿河からそれに出席するが、その最中に豊臣方挙兵の報が入りそのまま大阪へ出陣して豊臣家を滅ぼしている。
 また、1612(慶長17)年頃から1616(元和2)年の間に、信長時代の清須から名古屋への大移住、いわゆる「清須越し」が行われた。5万人を越える住民と社寺3社110ヶ寺が移る徹底的なものであった。
 1617(元和3)年に二の丸御殿が完成すると義直はそちらへ移り、本丸御殿は将軍上洛時の御成御殿とされた。そして、1626(寛永3)年に大御所・徳川秀忠、1634(寛永11)年に将軍・徳川家光が上洛の途中で立ち寄っている。だが、その後長い間将軍の御成は無く、1865(慶応元)年に14代将軍・徳川家茂が上洛途中に1泊している。
 名古屋城の城地は、濃尾平野に向かって突き出した台地上にあり、平野を一望に監視できる軍事的な要地であった。築城以前、台地縁の西面と北面は切り立った崖で、崖下は低湿地、と防御に適した地勢であった。曲輪の配置はほぼ正方形の本丸を中心として南東を二之丸、南面東寄りに大手馬出、南西を西之丸、北西を御深井丸、北面東寄りに塩蔵構、東面北寄りに搦手馬出が本丸の四周取り囲む。さらに南から東にかけて三之丸が囲む。天守は本丸の北西隅に位置し、形式は大天守と小天守を橋台によって連結した連結式層塔型である。大天守は18階建ての高層建築に相当し延べ床面積は史上最大規模で、体積は姫路城天守の約2.5倍で柱数,窓数,最上階規模,総高など14項目で日本一である。
 1870(明治3)年、徳川慶勝は、武士の帰農手当や城地の整備費用に充当のため、新政府に対して名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出たが、ドイツ公使マックス・フォン・ブラントと日本陸軍の訴えにより城郭は保存されることとなった。明治時代、城内には陸軍の東京鎮台第三分営が置かれ、その後、本丸は宮内省に移管されると名古屋離宮と称した。1930(昭和5)年、名古屋離宮が廃止されて宮内省から名古屋市に下賜され、同年、城郭としては第一号の国宝(旧国宝)となった。
 1945(昭和20)年5月14日の名古屋大空襲で、本丸御殿,大天守,小天守,東北隅櫓,正門,金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失した。天守は1959(昭和34)年に再建、本丸御殿も2018(平成30)年に復元され一般公開されている。

【史跡規模】

【指 定】・国特別史跡(1952年3月29日指定)

       ・国指定名勝:名古屋城二之丸庭園(1953年3月31日指定) 

【国 宝】 

 【国重文】・西南隅櫓(本丸未申隅櫓)   ・東南隅櫓(本丸辰巳隅櫓)

        ・西北隅櫓(御深井丸戌亥隅櫓) ・表二之門(本丸南二之門)

        ・二之丸大手二之門(二之丸西鉄門二之門)

          ・旧二之丸東二之門(二之丸東鉄門二之門)

          ・旧本丸御殿障壁画 331面(附16面)

        ・旧本丸御殿天井板絵 331面(附369面) 

【C-AC001a】名古屋城跡

関連時代 戦国時代 江戸時代:前期 昭和時代:前期
関連年号

1538年・1542年・1555年

1609年・1615年 1930年・1945年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
今川氏親 G360 織田信秀 OD03 今川氏豊 G360
織田信長 OD04 織田信光 OD02 徳川家康 TG01
徳川義直 TG11 滝川忠征 KI43 佐久間政実 H503
牧 長勝 **** 加藤清正 F*** 大久保長安 ****
小堀政一 F924 中井正清 **** 徳川慶勝 TG12

 

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名古屋城エリア図(名古屋城ホームページより)

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正門 正門(内側) 西之丸 西之丸の南側土塁 西之丸の南側土塁 大手馬出跡 西南隅櫓 西南隅櫓 西南隅櫓 西南隅櫓 東南隅櫓 東南隅櫓 東南隅櫓 東南隅櫓 本丸表二之門 本丸表二之門 本丸表二之門(内側) 右は本丸御殿 本丸東一之門跡 本丸東一之門跡 本丸東一之門跡(左に清正石がある) 清正石 旧二之丸東二之丸門(移築) 旧二之丸東二之丸門 旧二之丸東二之丸門 本丸御殿越しの天守閣と小天守閣 天守閣 金鯱 金鯱 小天守閣 天主閣 天主閣(西側から見る) 天主閣 剣塀 御深井丸へ 天主閣と小天守閣を結ぶ廊下の内部 天主閣からの眺望 天主閣からの眺望 天主閣からの眺望 乃木倉庫 乃木倉庫 西北隅櫓 西北隅櫓 西北隅櫓 天守礎石 天守礎石 天守礎石 不明門へ 不明門の東側 不明門 不明門 石垣の刻名 石垣の刻名 石垣の刻名 石垣の刻名 二之丸大手二之門 二之丸大手二之門(内側) 二之丸東庭園 南池 南池 霜傑跡(茶屋跡) 北暗渠 北庭園 北庭園 余芳跡(茶屋跡) 那古野城跡の案内 埋御門跡 埋御門跡 南蛮たたき鉄砲狭間 藩訓秘伝の碑 東門 東門 東門 東門 二之丸南の堀 二之丸西南隅 二之丸西南(奥に二之丸大手二之門) 西之丸西南隅 城の西側堀 鵜の首 鵜の首 城の北側堀 二之丸北東隅 二之丸東側堀(東門の北側) 二之丸東側堀(東門の南側) 外堀西南(右に県立図書館) 外堀西南(左に名古屋高速) 外堀西南 外堀西南