那古野城跡
なごやじょうあと (Nagoya Castle Ruins)
【C-AC021】探訪日:1990/9/1・2022/3/5
愛知県名古屋市中区二の丸1-1
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、大永年間(1521~28年)に尾張東部まで支配領域を拡大していた今川氏親によって築かれた。城主は氏親の一族で一説には那古野氏の家督を継いだとされる今川氏豊であったと伝えられている。
1532(天文元)年、勝幡城の織田信秀が計略により今川氏豊を追放して城を奪い拠点を置いたとされる(那古野城という城名はこのとき付けられたとの説がある)。信秀は那古野城を幼い信長に譲り、自身は東南方を固めるために古渡城を築いてそこへ移った。
1555(弘治元)年、信秀の後を継いでいた織田信長は、叔父の織田信光と謀って一族の織田信友を滅ぼし清洲城に移り、後の那古野城には信光,信長重臣の林秀貞らが一時入ったが、やがて廃城となった。
1609(慶長14)年、徳川家康がこの城の故地に目をつけるが、名古屋城の築城に着手する直前には、鷹狩に使われるような荒れ野になっていたと伝えられている。
名古屋城二之丸が那古野城の故地であるとされるが、遺構はほとんど存在しない。二之丸内に那古野城址の碑が建つのみである。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1521~28年・1532年・1555年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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今川氏親 | G360 | 今川氏豊 | G360 | 織田信秀 | OD03 |
織田信長 | OD04 | 織田信光 | OD02 | 織田信友 | OD02 |
林 秀貞 | OC07 |
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▲名古屋城二の丸
▲名古屋城二の丸
▲名古屋城二の丸
▲名古屋城二の丸土塁跡