古渡城跡
ふるわたりじょうあと(Furuwatari Castle Ruins)
【C-AC070】探訪日:2014/9.6・2023/2.6
愛知県名古屋市中区橘2-8
【MAP】
〔駐車場所〕
1534(天文3)年、織田信秀が今川氏豊から奪った那古野城からさらに東に備えるために築城し居城とした。那古野城は嫡男吉法師(織田信長)に譲った。東西140m,南北100mの平城で、四方を二重の堀で囲まれていた。
1546(天文15)年には、信長が古渡城にて13歳で元服している。1548(天文17)年、美濃に侵攻した信秀の留守を狙い、清洲の守護代・織田信友の家臣・坂井大膳らが城下に攻め寄せたが、落城はしなかった。同年、信秀は末森城を築いて移ったため、古渡城はわずか14年で廃城となった。
遺構として、真宗大谷派名古屋別院敷地内にある古渡城跡碑と、古渡城の堀跡を利用した下茶屋公園がある。下茶屋公園は旧東本願寺別院,新御殿の後庭があった所であるが、「東本願寺掛所」によれば「古渡古城天守臺趾」という記入がなされている。