真宗大谷派名古屋別院(東別院)

しんしゅうおおたには なごやべついん(ひがしべついん)(Nagoya-Betsuin Temple, Shinshu Sect Otani School [Higashi-Betsuin])

【T-AC024】探訪日:2014/9.6・2023/2.6

【T-AC024】真宗大谷派名古屋別院 愛知県名古屋市中区橘2丁目8-55 <📲:052-321-9201>

【MAP】

〔駐車場所〕 無料駐車場がある。

【T-AC024】真宗大谷派名古屋別院

   「東御坊」,「名古屋東別院」,「東本願寺名古屋別院」、また浄土真宗本願寺派の西別院に対して「東別院」と通称される。
 1690(元禄3)年、尾張藩第2代藩主・徳川光友より織田信秀の居城であった古渡城跡地約1万坪の寄進を受け、東本願寺光海(一如)が「名古屋御坊」として開創された。諸堂は名古屋の宮大工・伊藤乎左衛門家により1702(元禄15)年に竣工。1802(文化2)年には五代惣兵衛によって本堂が再建されたが、惣兵衛はこのために真宗へ改宗し、さらに本山の東本願寺に多額の寄進をしたことにより、使用する材木の調達を一手に請負うことに成功した。1823(文政6)年に新たな本堂が竣工した。この年、本山の御影堂と阿弥陀堂が焼失したため、緊急措置として、別院の古御堂が東本願寺の本堂とされた。
 1874(明治7)年5月1日から6月10日にかけて開催された名古屋博覧会の会場としても使用されている。1876(明治9)年には「名古屋別院」に改称。明治天皇の行在所としても使用された。
 1945(昭和20)年3月12日、名古屋大空襲の被害を受け、本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失し、現在の本堂,山門は、戦後に再建されたものである。また、東別院東側の下茶屋公園は新御殿の後庭があった場所で、江戸時代後期の庭園様式をうかがうことができる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】紙本墨画淡彩四季山水図 六曲屏風一双

関連時代 江戸時代:前期 江戸時代:中期 明治時代
関連年号 1690年・1702年 1823 1874年・1876年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川光友 TG11 本願寺光海(一如) F338

 

【T-AC024】真宗大谷派名古屋別院  
 

 

【T-AC024】真宗大谷派名古屋別院

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山門 中門 山門 境内から見た山門 本堂 本堂 本堂 本堂 対面所 古渡城跡の碑と鐘楼 古渡城跡の碑 明治天皇大本営跡と行在所跡の碑 鐘楼 鐘楼 鐘楼(右は納骨堂) 納骨堂 下茶屋公園 下茶屋公園 下茶屋公園 下茶屋公園