来迎寺一里塚
らいごうじ いちりづか (Raigoji Milestone)
【Z-AC036】探訪日:2021/5/4
愛知県知立市来迎寺町足軽35
【MAP】
〔駐車場所〕
一里塚は旅人の目印として1604(慶長9)年、徳川家康が秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安の指揮のもと、江戸日本橋を基点として大きな街道の側に1里(約3.927㎞)毎に設置された。
来迎寺集落を通る旧東海道の左右に設けられた一里塚である(左右は日本橋から京都に向かう場合で表記)。両塚とも完全に遺されているのは数少ない。右塚(北塚)は高さ3.5m,基部の幅10m,奥行9mの規模で、西側がやや崩れているものの一里塚の原形をよく保っている。大きさは直径約11m,高さ約3m。塚上には一般に榎が植えられたが、この塚には黒松が植えられている。左塚(南塚)は塚の半分ほどが崩され原形を失っている。当初、左塚上には従軍記念碑や戦死者記念碑があったため、右塚と同時には史跡指定されなかったが、地元民の努力で原形復帰し、1996(平成8)年に追加指定された。街道の両側に造られている一里塚は岡崎市の大平一里塚,豊明市の阿野一里塚などがある。
【史跡規模】 |
【指 定】県指定史跡(1961年7月8日指定) |
関連時代 | 江戸時代:前期 |
---|---|
関連年号 | 1604年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
徳川家康 | TG01 | 大久保長安 | **** |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲左塚(南塚)
▲
▲
▲
▲右塚(北塚)
▲