大平一里塚
おおひら いちりづか (Ohira Milestone)
【Z-AC022】探訪日:2020/3/6
愛知県岡崎市大平町岡田
【MAP】
〔駐車場所〕
一里塚は旅人の目印として1604(慶長9)年、徳川家康が秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安の指揮のもと、江戸日本橋を基点として大きな街道の側に1里(約3.927㎞)毎に設置された。
大平一里塚は東海道の一里塚の一つで日本橋から80里にあたる。西大平を領していた本多重次の嫡男・本多成重が築いた。江戸時代には、南塚の前に石垣を積んで柵をめぐらし高札を立てることがあり、高札場と呼ばれていた。また、参勤交代のため諸大名の通過があるたびに、藩から使者をここに差し出し、上りには北側、下りには南側に控えて送迎の礼をさせたため、御使者場ともいわれた。なお、北側の塚は1928(昭和3)年の道路改修の際に破壊されてしまった。
塚の大きさは高さ2.4m,底部縦7.6m,横8.5mの菱形をしている。中央には樹齢350年の榎が植えられていたが、1953(昭和28)年の台風で倒れ、現在は2代目の若榎が樹勢よく聳えている。一里塚には塚の崩落を防ぐため、根張りがよい榎が植樹されていることが多い。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1937年12月21日指定) |
関連時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1604年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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徳川家康 | TG01 | 大久保長安 | **** | 本多成重 | F510 |
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