内海砲台跡
うつみほうだいあと(Utsumi Battery Ruins)
【Z-AC062】探訪日:2024/1.29・2.3
愛知県知多郡南知多町内海小桝149
【MAP】
〔駐車場所〕砲台跡の北側の道路の余地スペースに駐車する。
1854(嘉永7)年、尾張藩が師崎砲台と共に知多半島に設置した台場である。内海の標高30mの丘陵上に置かれていた。砲台全体で東西約25m,南北約35mの平坦地である。1850(嘉永3)年から舟奉行・千賀與八郎らが中心となり設置場所の検討が始まり、1854年1月に着工、約半年後に完成している。備砲は西洋砲術に長けた尾張藩本丸詰物頭・上田仲敏が担当し、大砲は尾張藩御用鍛治の水野太郎左衛門が鋳造した。12貫目ホウイッスル砲1挺,5貫目矢筒2挺,1貫目矢筒1挺,3貫目カノン砲が略車台とセットとして備えられた。砲座は岩盤を穿って築かれ、砲台北側に弾薬庫が配置されていた。また、砲台と海岸線との連絡のため切通しを開削し、車台に乗せた大砲を移動させた。
さらに、内海砲台東側の尾根伝い最高部に内海烽火台が設けられた。ただ、大砲も烽火台も使われることはなかったらしい。現在は林と化している。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:後期 |
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関連年号 | 1854年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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上田仲敏 | **** | 千賀與八郎 | OC** | 水野太郎左衛門 | **** |
内海砲台跡(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)