永井直勝生誕の地
ながいなおかつ せいたんのち(Birthplace of Naokatsu Nagai)
【Z-AC038】探訪日:2014/8/19
愛知県碧南市音羽町1丁目48
【MAP】
〔駐車場所〕
1563(永禄6)年、永井直勝は長田重元の次男として三河国碧海郡大浜郷の重元の屋敷に生まれる。もとは長田姓を名乗る。14歳で徳川家康の嫡男・信康に仕えたが、1579(天正7)年に信康が自刃すると、徳川氏を去って隠棲した。1580(天正8)年、家康に召し出されて再び家臣となった。この頃、長田姓から永井姓に改姓している。長田氏は野間大坊で源義朝を殺害した長田忠致の兄・親致の系統であったためとされる。
1584(天正12)年の小牧長久手の戦いでは、初陣にもかかわらず敵将・池田恒興を討ち取る大功を挙げたため、家康や織田信雄らから賞賛された。恒興の次男の池田輝政が家康の次女の督姫を娶った際、輝政の求めに応じて、長久手の戦いで恒興を討ち取った際のことを語ったが、直勝の知行が5000石と知った輝政は、父を討ち取った功績の価値が5000石しかないのかと嘆息したという。
その後、関ヶ原の戦い,大坂の陣の戦功により上野小幡藩1万7000石に加増。1622(元和8)年には下総古河において7万2000石を与えられた。1626(寛永2)年12月29日に63歳で死去した。