源義経 元服の地

みなもとのよしつね げんぷくのち(The Place Where Yoshitsune Minamoto Celebrated His Coming of Age)

【Z-SG007】探訪日:2021/11.4

【Z-SG007】源義経元服の地 滋賀県蒲生郡竜王町

【MAP】

〔駐車場所〕道の駅「竜王かがみの里」の駐車場が利用できる。

【Z-SG007】源義経元服の地

   1174(承安4)年、京都の鞍馬寺に預けられていた遮那王が奥州平泉の藤原秀衡のもとへ向かう途中に、ここ鏡の宿で元服したと伝えられている。
 父の源義朝が平治の乱で平清盛に敗れた後、牛若(幼名)は鞍馬寺の覚日和尚に預けられ、稚児名を遮那王と名乗った。やがて遮那王は自分が源氏の嫡流と知り、僧になることを拒否して鞍馬寺を出奔。 『平治物語』によると、1174(承安4)年3月3日、金売り商人・吉次と下総の深栖三郎光重の子・頼重を伴って鏡の宿で長者・沢弥傳の屋敷(白木屋)に宿泊したとき、稚児姿では見つかりやすいと元服を決めたという。鏡の里の烏帽子屋五郎太夫に源氏の左折れの烏帽子を作らせ、鏡池の石清水を用いて前髪を落とし、元結の侍姿を池の水に映したのだと伝えられている。実名を源氏ゆかりの通字「義」と初代・経基王の「経」の字を以って「義経」とした。
 今もこの地には「元服池」や、元服の時に使った盥の底、烏帽子を掛けたとされる「烏帽子掛松」などが残されている。
 後日談ではあるが、元服後も幾度か鏡の宿を訪れていた義経ではあったが、1185(元暦2)年6月22日、壇ノ浦の戦いで捕えた平宗盛父子を斬首したのは鏡の宿の750mほど西の篠原の地(平宗盛終焉の地)とし、義経自ら元服した鏡の宿を血で穢すのを避けたといわれている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 平安時代:後期
関連年号 1573年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
源 義経 G202 吉次信高(堀 景光?)  **** 深栖頼重 G127
沢弥傳 ****

 

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