正長元年柳生徳政碑(疱瘡地蔵)
しょうちょうがんねんやぎゅうとくせいひ(ほうそうじぞう) (Shochogannen Yagyutokusei Monument [Hoso Jizo])
【Z-KN010】探訪日:2014/9.8
奈良県奈良市柳生町951
【MAP】
〔駐車場所〕
1428(正長元)年の正長の土一揆によって徳政令を勝ち取った郷民が記念に彫ったものとされている。通称「疱瘡地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩立像を彫り出した花崗岩の巨石の向かって右下部分に27文字の碑文が刻まれている。
碑文には
正長元年ヨリ
サキ者カンへ四カン
カウニヲ井メアル
ヘカラス
と陰刻され、「正長元年より以前の神戸四箇郷における負債は一切消滅した」と徳政令の具体的内容を記したものと解釈されている。神戸四箇郷とは大柳生庄,小柳生庄,坂原庄,邑地庄の4庄を指す。興福寺に残る文書「禁制 徳政令 条々」(正長元年11月)と碑文の年次が一致するため、大和国では興福寺が徳政令を発布し、それを受けた郷民側が「柳生の徳政碑文」を刻んだとされている。
碑文が刻まれた巨石は高さ3m,正面幅3.5m,側面幅2.5mで、石の中央には疱瘡除けを祈願したと伝わる地蔵菩薩像「疱瘡地蔵」が彫られており、巨石側面にも地蔵がみられる。地蔵像には「元応元年己未十一月日」(元応元年は1319年)の刻銘があり、徳政碑文自体は地蔵像が彫られてから109年後に刻まれたことになる。徳政碑文は風化が進み、「長」の字以外は判別は困難な状態にある。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1983年5月19日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 室町時代 |
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関連年号 | 1319年 | 1428年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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保 |