二村山鎌倉街道
ふたむらやま かまくらかいどう(Kamakura-kaido Road in Mt. Futamura)
【Z-AC033】探訪日:2021/4/22
愛知県豊明市沓掛町皿池上地内
【MAP】
〔駐車場所〕
平安時代から鎌倉,室町時代を経て、1601(慶長6)年に徳川家康が東海道を制定し伝馬の制度が定まるまでの京都と鎌倉を結ぶ主要幹線道路である。熱田,呼続,古鳴海,相原を経て二村山を通り、宿,十三塚,大久伝,西境,駒場を経て八橋に至る。鎌倉街道の跡とされる道は、昭和初期まではその経路をたどることができたが、宅地造成や土地改良事業によってそのほとんどが失われた状態となっており、現在では二村山の山頂近くにある地蔵堂の北西から濁池(藤田医科大学の北西)に向かって下る山道が唯一、往時の道影を残している。
二村山は古来より街道を行き交う人々を魅了し、源頼朝をはじめ北条泰時や飛鳥井雅経,西行など歌人の詠んだ和歌が多く残されている。その往来する様子を記した最も古い記録については951(天暦5)年成立の『後撰和歌集』に収録され、紀行文の『更級日記』(1020年),『海道記』(1223年),『十六夜日記』(1279年)からも鎌倉時代以前にも人々が二村山を往還していた様子を知ることができる。