石神遺跡

いしがみいせき(Ishigami Ruins)

【Z-KN008】探訪日:2006/5.17・2022/8.21

【Z-NR008】石神遺跡 奈良県高市郡明日香村飛鳥112

【MAP】

〔駐車場所〕「あすか夢の楽市」の駐車場を利用できる。

【Z-NR008】石神遺跡

   1902,03(明治35,36)年に須弥山石と石人像が掘り出されたところで、7世紀代を通じて造営が繰り返された遺跡である。斉明朝の遺構,天武朝の遺構,藤原京時代の遺構と3期の遺構が混在している。
 これまで公開された遺構は、藤原京時代に天武朝に作られた池上の遺構を埋めて作られた石敷き,井戸,溝,建物跡などである。溝からは土器や様々な木簡などが多量に出土し、木簡からは庚午年籍が出る前の地方行政区分が「国-評-五十戸(里)」と表記されていたことがわかる。「五十戸」が「里」に変わるのは682年頃であろうと言われている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 飛鳥時代 明治時代
関連年号

1902年・1903年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
中大兄皇子

 

【Z-NR008】石神遺跡
  

 

【Z-NR008】石神遺跡

 

   

 

<石神遺跡調査結果(石神遺跡発掘調査現地説明会資料を参考に作成)

区分 時代 特徴 遺構配置
A期 斉明朝
(655~661年頃)
長大な建物で囲われた西区画・東区画、石敷広場と井戸などが整然と配置されている。漏刻台の水落遺跡ともつながっている。須弥山石や東北地方の土器の存在と、『日本書紀』の須弥山をつくって蝦夷らを饗宴した記事との関連などから、飛鳥の迎賓館ともいわれている。
B期 天武朝
(672~686年頃)

多数の建物と塀があり、北側には大型建物を逆L字形に配置している。性格ははっきりしないが、大規模な施設があったようである。
南側に東西大溝があり、陸橋の北には池状遺構と東西溝1・南北溝1がある。池状遺構は東西9m,南北10m以上。もともと沼状だったところに盛土をして陸橋をつくっており、砂や粘土が厚く堆積している。東西大溝は幅3m,深さは現状で最大40cm。いずれも土器,木器,木簡など多量の遺物が出土したが、炭や灰,燃えさし,骨,桃の種子などといっしょにゴミとして捨てられた状況である。焼けている木簡もある。遺構はいずれもC期の整地土で覆われている。

C期 藤原宮
(694~710年頃)

南には塀で囲まれた方形区画(一辺71m)があり、その東に溝をともなう南北方向の道路が通っている。方形区画は藤原宮の東方官衙地区にある区画(66×72m)と同様な官衙的施設とみられる。整地土からは鉄鏃などが多数出土している。
B期の池状遺構を埋め立てて全面的に整地し、石敷と石組井戸,南北溝2,建物1が造られている。調査区東側には南北大溝が掘られている。建物1は2間×3間の小さな南北棟建物で、南北溝2を埋めた後に造られたものである。南北大溝は幅4m,深さ1mの素堀溝で、過去の調査でも検出されていたが、今回の場所ではとても幅が広く、深くなっている。南北大溝からは多量の土器,木器,木簡などが出土している。B期の池状遺構と同様、捨てられたゴミが溜まっている状況である。

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