水落遺跡
みずおちいせき(Mizuochi Ruins)
【Z-KN007】探訪日:2006/5.17・2022/8.21
奈良県高市郡明日香村飛鳥
【MAP】
〔駐車場所〕
日本書紀によれば、660年5月、中大兄皇子が初めて漏れ剋を造り人々に時刻を知らせた、とある。水落遺跡がわが国で初めて造られた水時計の跡にあたる。
発掘された遺構は、楼状建物跡とそれに付随する水利用の施設、4棟以上はあったと推測される掘立柱建物跡及び掘立柱塀跡などから成る。楼状建物は土を盛り上げ貼石をした基壇上に建つ4間(約11m)四方の正方形平面で、中央部を除いて合計24本の柱を立てる総柱様建物である。礎石は基壇の地中1m下に据えられ、そこに空けられた径40cmの円形刳り込みに柱をはめ、更に各礎石間に石製の地中梁を巡らし、基壇土で周りを固めている。一方、建物中央部の基壇下1mには花崗岩切石を台石にして1.65m×0.85mの黒漆塗の木箱が置かれていた痕跡があり、基壇内には木樋や桝,木樋から上方に取り付けられたラッパ状のごく細い銅管などが設置されていた。基壇の下には東から建物中央部に向かって木樋暗渠があったことが知られ、木箱の西側にも流入した水を流すための別の銅管の設置も確認されている。こうした発掘成果により、木樋から導入された水をラッパ状の銅管を使って上方高く吸い上げ、最終的に黒漆塗の木箱に流し込む構造であったと推定されている。 一階には水時計、二階には都中に時を告げる鐘や時刻の補正をするための天文観測の装置が置かれていたと思われる。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1976年2月20日) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 飛鳥時代 |
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関連年号 | 660年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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中大兄皇子 | K306 |