亀之丞の隠れ岩
かめのじょうのかくれいわ(Rock for Hiding for Kamenojo)
【Z-SZ009】探訪日:2023/2.4
静岡県浜松市北区引佐町伊平
【MAP】
〔駐車場所〕 仏坂古戦場付近に駐車スペースがある。
1545(永正14)年、井伊直虎の許嫁であった亀之丞(のちの井伊直親)9才の時に家老・小野和泉守政直の陰謀から身の危険を感じ、家来の今村藤七郎に連れられ井伊谷から信濃へ逃亡の途中に身を隠した場所である。仏坂古戦場から旧鳳来寺街道を登ったところにある。
今川義元配下で井伊谷城主・井伊直盛には男子がなく娘の次郎法師(直虎)の婿に亀之丞(井伊直満の子で直盛の従弟)を迎えようとしたが、これに反感を抱く井伊家家老・小野和泉守政直の陰謀により、今川義元に直満,直義兄弟に逆意ありと讒言され、1544(天文13)年12月にふたりは駿府にて義元に誅殺された。
さらなる誅殺の危険を感じた亀之丞は家来の今村藤七郎が背負うカマスに隠れて井伊谷を脱出し、祖父・直平から龍潭寺の住持に招聘された文叔瑞郁禅師の縁を頼って、武田領の信濃国伊那郡の松源寺へ落ち延びることとなった。その途中に追手から身を隠し一夜を明かした場所で巨岩が並ぶ。
なお、一説には、直親は信濃で塩澤氏の娘との間に高瀬姫と吉直の1男1女を儲けたとされる。1555(弘治元)年に井伊谷へと帰参し、奥山朝利の娘・ひよを娶り家督を継ぐが、1563(永禄5)年、今度は小野政直の子・道好(政次)の讒言により、松平元康(のちの徳川家康)との内通の疑いを掛けられ、今川氏真に陳謝に駿府へ向かう道中の掛川で今川家の重臣・朝比奈泰朝により殺害された(井伊家歴代墓所・井伊直親墓所・渋川井伊氏一族墓所)。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1545年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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亀之丞(井伊直親) | F442 | 今村藤七郎 | **** | 小野政直 | **** |
井伊直虎 | F441 | 井伊直盛 | F441 | 井伊直満 | F442 |