稲村ヶ崎
いなむらがさき (Inamuragasaki)
【Z-KN001】探訪日:2008/5/1
神奈川県鎌倉市稲村ガ崎
【MAP】
〔駐車場所〕
1333(元弘3)年5月、上野国新田荘を本拠とする新田義貞が挙兵し、分倍河原の戦いと関戸河原の戦いで北条氏の軍に勝利して鎌倉に迫った。18日、極楽寺口より攻撃を加え、21日には義貞みずから稲村ヶ崎の海岸を渡ろうとしたが、波打ち際は切り立った崖となっており、軍勢は稲村ヶ崎を越えられなかった。そこで、義貞が潮が引くのを念じ剣を投じると、潮が引き干潟となったため、岬の南から鎌倉に攻め入ったという伝説が『太平記』に記されている。(ただし、近年、稲村ヶ崎の潮が引いたのは18日であったことが明らかになり、『太平記』の日付には誤りがあると考えられている。)
稲村ヶ崎は由比ヶ浜と七里ヶ浜の境界にあたる。