お松の方生誕の地
おまつのかた せいたんのち (Birthplace of Omatsunokata)
【Z-AC012】探訪日:2018/6/2
愛知県あま市七宝町沖之島北屋敷
【MAP】
〔駐車場所〕
1547(天文16)年7月9日、尾張国海東郡沖島に篠原一計の娘として生まれた。父の死去後、母が尾張守護斯波氏家臣の高畠直吉と再婚すると、まつは母の妹が嫁いでいる尾張荒子城主・前田利昌に養育され、満11歳で利昌の子で従兄弟にあたる前田利家に嫁ぐことになる。なお、地元では沖島の郷主・林日開常信の子で前田利昌がもらい受け、後に荒子の篠原主計の養女になったという説もある。
利家と結婚後、11歳から32歳までの約21年間で2男9女を産んでいる。その子孫は近代以降の皇室にも血脈を伝えている。
1599(慶長4)年に利家が病死すると出家し芳春院と号する。1600(慶長5)年、徳川家康から前田家謀反の嫌疑がかけられた際には、交戦を主張する利長を宥め、それを解消させるため自ら人質となって江戸に下り14年間をそこで過ごした。利長の死去後にようやく金沢への帰国が許され、1617(元和3)年に金沢城内で死去した。享年71。