御前谷太刀洗の池
ごぜんだにたちあらいのいけ (Pond of Gozendani-tatiarai)
【Z-SZ005】探訪日:2014/8/29
静岡県浜松市中区冨塚町328
【MAP】
〔駐車場所〕
太刀洗の池の碑は、浜松医療センターの駐車場の一画に建っているが、池はこの南10mほどのところにあったらしい。当時はその辺り一帯は藪に覆われ、約50㎡ほどの池であったという。
家康公の正室である築山御前(瀬名姫)は、今川義元の家臣の関口親永の娘で、今川氏の血を引く気品のある女性であったといわれるが、甲斐武田氏と通じたとされ、織田信長の要求を受けた家康は、妻を殺さなければならないという事情に追い込まれた。築山御前は家康から招かれて岡崎から浜松に向う途中、1579(天正7)年8月29日、佐鳴湖岸小藪村(富塚御前谷)で主君家康の命を受けた野中重政と岡本時仲によって殺害されたという。築山御前は38歳であったといわれ、首は岡崎に運ばれ、胴は西来院に葬られた。
このとき、血のついた太刀をこの池で洗ったとされ、後に太刀洗の池と呼ばれるようになった。また、そのためにその水が涸れたといわれ、1678(延宝6)年、百年忌の法要が行なわれてから清水に戻ったという伝承がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1579年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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築山御前 | G344 | 徳川家康 | TG01 | 野中重政 | **** |
岡本時仲 | **** |
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