大井烽火台跡
おおいのろしだいあと(Oi Fire Beacon Platform Ruins)
【Z-AC066】探訪日:2024/2.3
愛知県知多郡南知多町上苗代
【MAP】
〔駐車場所〕登り口近くに路駐する。
1853(嘉永6)年6月の米艦の浦賀来航を機に、翌1854(嘉永7/安政元)年、沿岸警備強化のため尾張藩によって知多半島に設置された烽火台のひとつである。大井烽火台は師崎烽火台と布土烽火台の中継を目的に標高53mの丘陵に設置された。師崎で異国船が発見された場合、ここから布土→長尾山→亀崎→緒川→大高と順に烽火を上げて、熱田から名古屋城へ報告されることになっていた。
現在、3.5m四方,高さ95cm,厚さ50cmの竈壁の一部が残されているが、破損が著しく遺構保護用カバーが設置されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:後期 |
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関連年号 | 1854年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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源 |
知多半島に設置された烽火台