土田御前生誕の地
どたごぜん せいたんのち(Birthplace of Dota-gozen)
【Z-GF001】探訪日:2019/10/23
岐阜県可児市土田4727
【MAP】
〔駐車場所〕
佐々木六角氏後裔の土田政久の息女として、この地に生まれたとされるが、裏付ける一次史料はない。織田信秀の継室となり、信長,信行,秀孝,信包,於市,於犬の生母となる。
夫の信秀の死後、次男の信行と共に末森城に住んでおり、信行が稲生原の戦いで信長に敗れると、信長に信行の赦免を願い出た。信行は一度は赦させたものの、後に再び信長への反逆を図ったため信長に誅殺された。信行の死後は信長や於市と共に暮らし、幼かった信長や於市の子供たち(信忠,信雄,信孝,茶々,初,江など)の面倒を見ていた。
本能寺の変で信長と信忠が自害した後は、孫の信雄の庇護のもとにあり、「大方殿様」と尊称され、640貫文を化粧料として与えられている。さらに、1590(天正18)年の信雄改易後は伊勢国安濃津の信包のもとに引き取られ、1594(文禄3)年正月7日に同地で死去した。墓所は三重県津市の塔世山四天王寺にある。