高木氏発祥の地
たかぎし はっしょうのち (Birthplace of Takagi Clan)
【Z-AC029】探訪日:2020/11/13
愛知県安城市高木町
【MAP】
〔駐車場所〕
清和源氏頼親の7世の孫・信光がはじめて高木を称したという。室町時代のはじめにその子孫の六郎左衛門宣光が三河国碧海郡牧内に移り住んだ。その子・高木清秀は刈谷城主の水野信元に従って尾張国知多郡緒川に住した。
清秀は一時、織田信秀に仕え、1548(天正17)年3月に今川義元,松平広忠と戦った三河小豆坂の戦いで功名をたてたが、信元の招きをうけた再びその麾下に転じた。
1561(永禄4)年、松平元康が水野信元と衝突した石ヶ瀬川の戦いでは、清秀は家康の重臣の石川数正らと7度にわたり槍を交えた。その後、家康は織田信長と和睦する。
1563(永禄6)年秋からの三河一向一揆では、信元のもと家康を救援するために一揆勢を相手に奮戦し浅手を負った。翌年、一揆を鎮圧した家康は、清秀が水野家に属しているにもかかわらず、高木氏の祖先がかつてもっていた高木の地を与え、その働きを賞したという。
1570(元亀元)年の姉川の戦いの頃から織田軍直属となる。本能寺の変後、1582(天正10)年10月から徳川家康に仕えた清秀は、2年後の小牧長久手の戦いでは内藤正成と目付役を務めた。1590(天正18)年、家康の関東移封にともない三河の地を去っている。