山内一豊生誕の地
やまうちかずとよ せいたんのち(Birthplace of Kazutoyo Yamauchi)
【Z-AC031】探訪日:2015/9/12
愛知県一宮市木曽川町黒田勘治西52
【MAP】
〔駐車場所〕
法蓮寺の入口には山内一豊公出生之地という石碑がある。しかし、一豊の生誕地としては、尾張国岩倉とする説と一宮の黒田城とする説がある。また、生年も1545(天文14)年と1546(天文15)年の2説がある。確かなのは、父・山内盛豊が尾張上四郡を支配する守護代の岩倉織田氏の家老として仕えていたことである。やがて岩倉織田氏は同族の織田信長と対立する。1557(弘治3)年、盗賊(信長の手勢といわれる)に黒田城を襲撃された際に、一豊は岩倉城に逃げ出せたが兄・十郎が討死、さらに1559(永禄2)年に岩倉城が落城した際、父の盛豊が討死もしくは自刃した。こうして主家と当主を失った山内一族は離散し、諸国を流浪する。
そして、1568(永禄11)年頃から一豊は信長の配下に入り、木下秀吉の下で家人となったと考えられる。1570(元亀元)年9月の姉川の戦いで初陣を遂げてから次第に頭角を現し、立身出世して最後は土佐一国の領主として高知城を築き、1605(慶長10)年、高知城にて病死した。享年61。