後藤象二郎生誕の地
ごとうしょうじろう せいたんのち(Birthplace of Shojiro Goto)
【Z-KC002】 探訪日:2019/7/21
高知県高知市与力町5−17
【MAP】
〔駐車場所〕
1838(天保9)年4月13日、土佐藩上士(馬廻格・150石)の後藤正晴と大塚勝従の長女の間に長男として高知城下片町に生まれる。諱は正本、後に元曄。幼名は保弥太といい、同郷親戚筋の板垣退助(幼名:猪之助)とは互いに「いのす」,「やす」と呼び会う仲であった。板垣退助生誕地が北150mほどのところに、また、坂本龍馬生誕地が西1Kmほどのところにある。
幼い頃に父を亡くすと、義理の叔父・吉田東洋が養育を扶助して育つ。東洋の死後、その志を継いで土佐藩の近代化につとめ、長崎では勤王党の坂本龍馬と手を握り、山内容堂に説いて大政奉還を実現させ、維新以後は民権運動にも関係した(自由党結成では板垣退助に次ぐ副党首格)。後に、黒田清隆内閣,第1次山県内閣,第1次松方内閣で逓信大臣、第2次伊藤内閣で農商務大臣を歴任している。
1896(明治29)年夏頃、心臓病を患って箱根で療養につとめたが、翌年8月4日薨去。享年60。墓は東京都港区の青山霊園にある。墓の形状は板垣退助の墓と全く同型である。