榊原康政生誕の地
さかきばらやすまさ せいたんのち (Birthplace of Yasumasa Sakakibara)
【Z-AC004】探訪日:2016/5/1
愛知県豊田市上郷町薮間
【MAP】
〔駐車場所〕
榊原氏は三河仁木氏の一族とされ、後に伊勢国一志郡榊原に移って榊原を称し榊原城を築いた。後に伊勢に残った本家筋の系統と三河に戻った分家筋の系統があったことが知られ、三河に戻った系統でも松平氏の直臣になった系統とそれ以外の系統が存在していた。康政の系統は松平氏譜代家臣の酒井忠尚に仕える陪臣の家柄である。
1548(天文17)年、榊原長政の次男として三河国上野郷の上野上村城にて産声を上げた。幼い頃から勉学を好み、3歳の時に松平元康に見出されて小姓となる。1566(永禄9)年、19歳で元服し、同年齢の本多忠勝と共に旗本先手役に抜擢されて与力50騎を付属される。以後も家康の側近にあって、旗本部隊の将として活躍。諸説あるものの徳川家康は康政の一連の態度に感銘して、康政に借りがあることを神に誓い証文として与えている。1606(慶長11)年、毛嚢炎を煩い館林にて死去した。
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