上野上村城跡
うえのかみむらじょうあと(Ueno Kamimura Castle Ruins)
【C-AC128】探訪日:2016/5.1・2023/7.3
愛知県豊田市上郷町薮間
【MAP】
〔駐車場所〕
応仁(1467~69年)の頃、戸田弾正左衛門宗光により築城されたとされる。宗光はその後、1475(文明7)年に渥美半島に田原城を築き、父・実興と嫡子・憲光とともに移り、上野城には弟の戸田家光が入るが、松平親忠に攻め取られる。
1493(明応2)年には、上野城主だった阿部孫次郎が寺部城の鈴木氏,挙母城の中條氏,八草城の那須氏,伊保城の三宅氏と連合して松平親忠と井田野で戦ったが(井田野の戦い)、敗れて松平氏に服属した。その後、上野城には戦功のあった松平信定およびその子・清定が在城した。
1545(天文14)年、松平清定,家次と酒井将監忠尚,榊原七郎右衛門長政の連合軍が宗家松平広忠と戦ったが(広畔畷の戦い)、同年に降伏して清定は桜井(安城市)に蟄居の身となったが、酒井忠尚は許されて城主となる。なお、1548(天文17)年には徳川四天王の一人となる榊原康政が榊原長政の第二子としてこの城にて生まれた(榊原康政生誕の地)。
しかし、1563(永禄6)年、忠尚は三河一向一揆では一揆方に味方し徳川家康に攻められることになり、1565(永禄8)年、一揆が鎮圧されると忠尚は駿河に逃れ、上野城は落城した。落城後は家康により岡崎城代・石川数正の管理下となり、上野七人衆と呼ばれる在番衆が置かれた。
城の周囲には自然地形を利用した堀が巡らされ、南西に本丸、北東に二の丸が配されている。現在は藪間公園,上郷児童館,護国神社に変わり、土塁状の盛山がその面影を残す。