挙母城(七州城)跡
ころもじょう(しちしゅうじょう)あと (Koromo[Shichishu] Castle Ruins)
【C-AC016】探訪日:1989/8/21・2014/10/11
愛知県豊田市小坂本町7丁目90
【MAP】
〔駐車場所〕
挙母には、鎌倉時代の1309年に中條景長によって金谷城が築かれ、江戸時代初期の1604(慶長9)年には三宅康貞が1万石で入封した。康貞は城の破損が著しいことから、金谷城から1Kmほど北に桜城を築いた。1749(寛延2)年、内藤政苗が入部し桜城の改修を計画し着手したが、矢作川の氾濫により何度も被害を受けたため、2代の内藤学文が幕府の許可を得て1782(天明2)年に桜城から高さ65mほどの丘である童子山に、新たに挙母城を築いた。三河,尾張,美濃,信濃,伊賀,伊勢,近江の7つの国が見える高台にあることから、七州城といった。1871(明治4)年、廃城となる。
遺構としては、豊田市美術館敷地内に櫓台の石垣が残り、1977年に隅櫓が復興されている。隅櫓に隣接する書院は「又日亭(ゆうじつてい)」といい、明治まで寺部城の城内にあった書院である。明治年間に千足町の竜寿院に移築され、その後解体される予定であったが、1977年、隅櫓再建とともに、豊田市によって現在地に移築された。
【史跡規模】 |
【指 定】豊田市指定史跡(1972年2月24日指定) |
関連時代 | 江戸時代:中期 | 明治時代 |
---|---|---|
関連年号 | 1782年 | 1871年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
内藤学文 | F907 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲復元隅櫓
▲復元隅櫓
▲櫓台
▲櫓台
▲櫓台の内側から見た隅櫓
▲城址碑
▲又日亭
▲「又日亭」説明板