桜城跡
さくらじょうあと (Sakura Castle Ruins)
【C-AC085】探訪日:2014/10/11
愛知県豊田市元城町1丁目51
【MAP】
〔駐車場所〕
1614(慶長19)年、三宅康貞が金谷城の代用の城として築城した。1664(寛文4)年、三宅氏は田原城に転封となり一時破却された。また、この頃の三宅氏は城持ち大名ではなかったため実質は陣屋であった。その後に入封した本多忠利も陣屋として使っていた。
その後、1749(寛延2)年に挙母藩に内藤政苗が入封し、1756(宝暦6)年から大改築が開始され、三重の本丸櫓,二重の隅櫓,周囲720mの堀を巡らした総面積32haの本格的城郭計画であった。幕府から4,000両を借り入れて、本丸,二の丸と本丸三重櫓の石垣工事から始めたが、改築中の1767(明和4)年に矢作川の大洪水に見舞われ、その後も度重なる洪水の被害を受けたため、改築工事を断念して代わりに挙母城が築かれることになり廃城になった。
現在は公園として整備されており、隅櫓跡の石垣が残っている。二の丸の石垣も見つかっているが、こちらは保存する措置が採られていない。