伊保東古城跡

いぼひがしこじょうあと (Ibo Higashi Old Castle Ruins)

【C-AC033】探訪日:2005/1/8・2021/8/11

【C-AC033】伊保東古城跡 愛知県豊田市保見町東古城141-1

【MAP】

〔駐車場所〕保見中学校西側の道路沿いに駐車スペースがある。

   築城年代は定かではないが、応安年間(1368~74年)、三宅氏が築いた城とされる。1493(明応2)年、三宅加賀守清宜のときに井田野で挙母城の中條出羽守,寺部城の鈴木日向守,八草城の那須宗左衛門,上野城の阿部孫次郎らと共に約4,000の連合軍で松平宗家4代の松平親忠の約2,000の兵に戦いを挑むが惨敗(第二次井田野合戦)。1510(永正7)年に松平右衛門定勝、1545(天文14)年に丸根城主・松平内記忠次、1550(天文19)年に松平大学が入った。1558(永禄元)年、三宅康貞は松平元康に降り、以後、三宅氏は徳川家の譜代として幕末まで存続した。
 城は本丸を囲むように腰曲輪や土塁,空堀が巡らされていた。現在の保見中学校グランドの東半分が本丸であり、中学校建設にあたっての発掘調査では建物の柱穴,井戸の遺構や天目茶碗などが多数発見された。グランド南側の雑木林に腰曲輪の遺構が残されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1368~74年 1493年・1510年・1545年・1550年・1558年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
三宅清宜 MY02 松平親忠 MT01 松平定勝 MT43
松平忠次 MT08 松平大学 MT** 三宅康貞 MY03

 

【C-AC033】伊保東古城跡
 1回目の訪問は城址碑と遠景だけの撮影に終わったが、2回目では腰曲輪跡とされる雑木林(竹林)まで入り込んだ。グランド南の斜面を西から東へ進むと腰曲輪へ下りることができる。予想以上の広さと段数があり、整備すれば伊保西古城の主郭とセットで見どころのある史跡をPRできるのではと感じた。

 

【C-AC033】伊保東古城跡

 

伊保東古城平面図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

【C-AC033】伊保東古城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC033】伊保東古城跡

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▲グランド南側

【C-AC033】伊保東古城跡

▲グランド南に沿って雑木林へ

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▲竹林と化した腰曲輪跡

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▲土塁が確認できる

【C-AC033】伊保東古城跡

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▲土塁

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▲土塁

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▲土塁途中のの切れ目

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▲右の斜面がグランド側

【C-AC033】伊保東古城跡

▲腰曲輪遠景

【C-AC033】伊保東古城跡

▲腰曲輪の残る雑木林(2005年1月撮影)