賀茂真淵生誕の地
かものまぶち せいたんのち (Birthplace of Mabuchi Kamo)
【Z-SZ004】探訪日:2016/11/28
静岡県浜松市中区東伊場1丁目
【MAP】
〔駐車場所〕
江戸時代中期の国学者,歌人。1697(元禄10)年に遠江国敷智郡浜松庄伊庭村に岡部政信の三男として生まれた。岡部家は賀茂神社の末社の神職を代々務める旧家で、父政信は分家筋である。真淵は荷田春満に師事し、江戸に出て、八代将軍徳川吉宗の次男、田安宗武に仕えた。
真淵は、契沖の実証性と春満の思想性を受け継いで、“国学”を樹立し、荷田春満,本居宣長,平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされ、その門流を「県居学派」、あるいは「県門」と称した。真淵の著述は、『冠辞考』『万葉考』『にひまなび』など、語学,古典研究,歌学,思想,歌文集,雑録など87部309巻に及ぶ。また、その門下には本居宣長,荒木田久老,加藤千蔭,村田春海,楫取魚彦,塙保己一,内山真龍,栗田土満,森繁子などがいる。高名な弟子として特に優れた女性3人を県門の三才女(油谷倭文子,土岐筑波子,鵜殿余野子)、特に優れた男性4人を県門の四天王(加藤千蔭,村田春海,楫取魚彦,河津美樹)と称した。