日蓮袈裟掛けの松跡

にちれんけさかけのまつあと (The Pine Tree Ruins Saint Nichiren Hung His Surplice)

【Z-KN002】探訪日:2008/5/1

【Z-KN002】日蓮袈裟掛けの松跡 神奈川県鎌倉市稲村ガ崎2丁目4

【MAP】

〔駐車場所〕

【Z-KN002】日蓮袈裟掛けの松跡

   1271(文永8)年9月12日の深夜、日蓮が龍ノ口の刑場へ向かう途中、袈裟を血で染めるのは恐れ多いと、この辺りにあった松の枝に掛けたとされる。袈裟掛けの松は材木座・実相寺の日實法師らによって守り続けられたが、現在は松はなく石碑が建つのみである。
 同年9月10日、幕府や諸宗を批判したとして日蓮は幕府に召喚され、刑事裁判を管轄する侍所の平左衛門尉頼綱の尋問を受けた。9月12日夕刻、平頼綱は兵を率いて日蓮を佐渡流罪の名目で逮捕捕縛し連行した。その際、兵士らが松葉ヶ谷の草庵に経典類を撒き散らし、妙法蓮華経(法華経)の巻軸をもって日蓮を打擲するなどの暴行を働いたという。平頼綱は日蓮を馬に乗せて鎌倉中を引き回し、佐渡国守護である北条宣時の館に預かりとした。
 ところが、頼綱はその日の深夜(午前2時前後とされるが、当時は午前3時頃までは前の日付)に突然、日蓮を土牢から引き出し鎌倉のはずれの龍ノ口の刑場で斬首しようとした。しかし、(伝承によると)突如、江の島の方から光り物が出現して刑の執行は中止されたという(龍ノ口の法難)。実際には、北条時宗の妻(堀内殿)の懐妊と、その養父である安達泰盛の進言があったとの見方もある。斬首を免れた日蓮は、直ちに相模国依智にある佐渡国守護代・本間六郎左衛門重連の館に護送され、1ヶ月ほどそこに留め置かれた後、佐渡へ流された。ちなみに、日蓮はこの体験で、それまでの日蓮はひとまず終わったと述べ、以降、新たな境地に立って弘教の歩みを開始している。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 鎌倉時代
関連年号 1271年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
日蓮上人 **** 日實法師 **** 平 頼綱 H111
北条宣時 H181 本間重連 G803

 

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