実相寺(工藤祐経邸跡)
じっそうじ (くどうすけつね ていあと)(Jisso-ji Temple[Residence Ruins of Suketsune Kudo])
【T-KN018】探訪日:2008/5/1
神奈川県鎌倉市材木座4丁目3-13 <📲:0467-22-7997>
【MAP】
〔駐車場所〕
鎌倉時代の武将・工藤祐経の屋敷跡で、1271(文永8)年に祐経の外孫で日蓮の弟子でもある日昭が、日蓮が佐渡にいる間に一門の教化,統率の拠点として開いた濱土法華堂が始まりとされる。日蓮入滅後の1284(弘安7)年に濱土法華堂を寺とし、法華寺とした。しかし、新田義貞の鎌倉攻めで全焼し一時伊豆に移ったが、その後現在の地に再建された。現存する本堂は、明治初年の火災の後に再建されたものである。
本尊の一塔両尊四士は、南無妙法蓮華経の七字題目が刻銘された一塔の周りに、釈迦如来,多宝如来の両尊,四菩薩が祀られたものである。本堂右手奥の墓地には日昭上人墓が遺されている。なお、工藤祐経の墓は静岡県富士宮市上井出にある。
工藤祐経は曾我兄弟の仇討ちで知られる。幼少期に父・祐継が早世し義理の叔父である伊東祐親が後見人となるが、祐経が継いだ伊東荘を押領し、妻の万劫御前をまで奪って土肥遠平に嫁がせてしまう。祐親は都で訴訟を繰り返すが失敗に終わり、1176(安元2)年、祐親と嫡男・河津祐泰を射殺する。のちに遺された祐泰の子の一萬丸(曾我祐成)と箱王(曾我時致)の兄弟が、1193(建久4)年5月、富士の裾野での巻狩の夜に父・河津祐泰の仇として祐経を討つ事件である。日本三大仇討ちの一つであり、武士社会において仇討ちの模範とされていた。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:後期 | 鎌倉時代 |
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関連年号 | 1176年 | 1193年・1271年・1284年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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工藤祐経 | F046 | 日蓮 | **** | 日昭 | F*** |
伊東祐親 | F043 | 河津祐泰 | F043 | 一萬丸(曾我祐成) | F043 |
箱王(曾我時致) | F043 |
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