本多忠勝生誕の地
ほんだただかつ せいたんのち(Birthplace of Tadakatsu Honda)
【Z-AC054】探訪日:2023/7.3
愛知県岡崎市西蔵前町峠37
〔駐車場所〕駐車場はないため、北の村社天満宮に停めさせていただく。
1548(天文17)年、安祥松平家(徳川本家)の最古参の譜代である本多忠高の長男として、三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれた。翌1549(天文18)年に父・忠高が戦死したため、叔父の本多忠真のもとで育てられた。
幼い頃から徳川家康に仕え、1560(永禄3)年、13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣し、このとき同時に元服した。その後も徳川四天王の一人として初陣からから大阪城冬の陣まで生涯57戦で一度も負傷しなかったといわれ、織田信長や豊臣秀吉からも、比べ者のない勇士と賞賛された。敵の武田信玄の家来・小杉左近も「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八」と称したほどであった(一言坂の戦い)。
現在は平八郎家の御子孫宅に本多平八郎忠勝誕生地の石碑が立つ。なお、この地には西蔵前城があったとされる。
【史跡規模】 |
【指 定】岡崎市指定史跡(1962年6月15日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1548年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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本多忠勝 | F526 | 4 |