平塚刑場跡

ひらつかけいじょうあと(Hiratsuka Execution Ground Ruins)

【Z-SZ007】探訪日:2024/9.8

【Z-SZ007】平塚刑場跡 静岡県掛川市下土方

【MAP】

〔駐車場所〕

【Z-SZ007】平塚刑場跡

   1581(天正9)年3月、高天神城は陥落し捕らえられた名のある捕虜は、この辺りで処刑されたとされる。高天神城の東に位置する。
 1580(天正8)年9月、徳川家康軍は兵5,000騎で高天神城を包囲し攻撃。城代・岡部元信のもと、1,000程度の城兵は激しく反攻するも、兵糧攻めによりやがて士気は大きく衰え、かつ甲斐の武田勝頼の援軍も期待できず、ついに翌1581(天正9)年3月25日夜、城内にいる残存武田軍は岡部元信に率いられて城から討って出て、ことごとく討死し高天神城は陥落した。さらに、家康は降伏し捕虜となった武将も悉く処刑した。なかには、徳川家康(当時は竹千代)が駿府での人質時代に隣家トラブルとなった孕石元泰もいた(迷惑をかけた家康が、苦情を申し立てた孕石元泰を延々と恨んでいた)。また、信濃国善光寺別当家当主の栗田寛久は家康陣中にいた幸若義成による幸若舞を冥土の土産にと所望し叶えられた後に処刑された。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1581年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
孕石元泰 **** 栗田寛久 ****

 

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