G201:源 頼信源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清G501:村上頼清リンクG502・G504・G511村上頼清村上仲宗村上惟清 平安時代中期の武士・官人。母は修理命婦で源頼義の同母弟。従四位下に上り中務少輔,安芸守,肥後守,陸奥守などを歴任する一方、藤原頼通家の侍所別当も務めた『今昔物語』(巻12ノ36)には、貧乏暮らしをする左京大夫として登場する。 子孫は信濃国に勢力を扶植し、信州村上氏とし...

G501:村上頼清源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上定国G502:村上定国リンクG503村上定国村上義弘 定国は保元の乱後、信濃から海賊衆の棟梁となって淡路,塩飽へと進出した。そして、平治の乱後に越智大島に上陸した。この定国を村上氏の祖とする説が一般的で、定国から七代の孫義弘までを前期村上氏の時代とされる。 村上義弘は南北朝の争乱に際して南朝方として活躍し、応永三年(1374)に卒した...

G502:村上定国源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上定国 ― 村上顕忠G503:村上顕忠●リンク河野通康得居通幸 河野氏の当主・河野通直に厚く信任され、その娘婿として迎えられた。このとき、河野姓を名乗ることも許されている。周防の大内氏の水軍が伊予に侵攻してきたとき、これを撃退したことからさらに通直に重用されるようになり、通直に家督を譲られそうになったが、一族の河野通政をはじめとする河野...

G501:村上頼清源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上為国G504:村上為国リンクG505・G509・G510村上為国村上信国 越前に配流になっていた村上為国とその子信国,基国が、保元元年(1156年)の保元の乱で崇徳上皇に味方し参加。敗戦し囚われたが、妻が後白河天皇の側近藤原通憲の娘であることを理由に赦免された(一説に基国は後白河天皇方で、父の助命を求めたともいう)。平治の乱では藤原通...

G504:村上為国源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上為国 ― 村上安信G505:村上安信リンクG506村上義日村上義清 後醍醐天皇と鎌倉幕府との戦い元弘の乱(1331-1333年)が始まると、前半戦で敗北し一度は姿をくらました護良親王は、後半戦で再び姿を現し、吉野城に籠城した。これに対し、元弘3年/正慶2年(1333年)初頭、鎌倉幕府は大将・大仏高直,軍奉行・工藤高景,使節・二階堂貞藤...

G505:村上安信源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上為国 ― 村上安信 ― 屋代満照G506:屋代満照●リンク屋代満照屋代正国 戦国期の屋代氏は、村上頼国(村上中務大輔入道)の子満照を祖としている。 村上明国の孫家盛が埴科郡屋代郷に住して、屋代家盛と称したことに始まる明国系と頼国系の両系統の関係については、詳しくは判明していない。永正から天文年間に屋代城を築いた屋代信光は明国系屋代氏と...

G506:屋代満照源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上為国 ― 村上安信 ― 屋代満照 ― 室賀宗国G507:室賀宗国リンクG508室賀宗国室賀信俊 室賀氏は北信濃の国衆で、清和源氏頼清流の系統である村上氏の一門屋代氏の支族であり、惣領家の村上義清に従っていた 1553年(天文22年)、村上義清が甲斐国の武田晴信に敗れて越後国の長尾景虎(上杉謙信)のもとへ奔ると、そのまま晴信に降るととも...

G507:室賀宗国源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上為国 ― 村上安信 ― 屋代満照 ― 室賀宗国 ― 室賀正信G508:室賀正信●リンク室 Y 

G504:村上為国源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上為国 ― 村上経業G509:村上経業●リンク村上経業屋代家盛 初名は明国。信濃村上氏の一族として兄弟等と共に御家人となる。文治元年(1185年)10月の勝長寿院落慶供養には子の頼時と共に参列しているほか、翌11月には禅師経伊なる弟が平時実を捕縛した。以後、建久元年(1190年)11月の源頼朝の上洛や同5年(1195年)12月の永福寺薬...

G504:村上為国源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上為国 ― 村上基国G510:村上基国●リンク村上基国飯田元親 平安時代末期の武士。信濃国更級郡村上郷を本領として京都に寄宿していた。高陽院(藤原泰子)判官代に任じられ、村上判官代と称した。保元の乱の際は父とともに崇徳上皇方に加わり、その後は八条院蔵人に補任されたらしい。寿永2年(1183年)平家を負って上洛した木曾義仲に従ったが、その...

G511:村上家宗源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上家宗 ― 安藤家重G512:安藤家重リンクG513安藤家重安藤直次 松平広忠に仕えていたが、天文9年(1540年)に三河安祥城に攻め寄せてきた織田信秀との攻防戦のさなかに討死。 子の安藤基能は、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いで武田軍相手に討死した。 幼少期から徳川家康に仕え、元亀元年(1570年)の姉川の戦いを皮切りに長篠の戦...

G512:安藤家重源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上家宗 ― 安藤家重 ― 安藤重信G513:安藤重信●リンク安藤重信安藤重長 徳川家康に仕え、天正12年(1584年)の小牧長久手の戦い、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に属して真田昌幸が守る信濃国上田城攻めに参加した。   慶長16年(1611年)、奉行に任じられ、翌年12月には下総国小見川に2万石の所領を与えられ大...

G201:源 頼信源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季G521:井上頼季リンクG522・G525・G526・G527・G530井上頼季井上満実 河内国石川郡壷井に生まれ、当初近江国に本拠を置いていた。しかし、長元元年(1028年)、関東の下総で平忠常の乱が勃発。父の頼信は、乱を平定して東国に勢力を張った。その功績を以って3男である頼季も信濃に封を得て、嫡男・満実とともに長久年間に高井郡井上(現長野...

G521:井上頼季源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 常田光平G522:常田光平リンクG523保科忠長井上光盛 氏族名の由来ともなった保科の荘は古来からの荘園で、保科氏の祖は長田御厨の庄官を勤めたとされる。このことから古代氏族の他田部氏の系統とする説がある。また「信濃史源考」では他田氏と同祖とされる諏訪氏の庶流としている。若穂保科の広徳寺寺歴では平安時代に川田一帯を支配していた保科氏は一旦絶...

G521:井上頼季源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 保科正則G523:保科正則リンクG524保科正俊保科正直 最初は高遠城主の高遠頼継に属して武田晴信の信濃侵攻に抵抗したが、天文21年(1552年)頃に降伏してその家臣となった。武田氏の信濃先方衆(120騎持)の1人として活躍し、下伊那攻めや北信濃攻めに従軍した。特に槍に優れた使い手であったため、「戦国の三弾正」に数えられ、高坂昌信の「逃げ...

G523:保科正則源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 保科正則 ― 保科正之G524:保科正之リンクMT59保科正之 慶長16年(1611年)5月7日、第2代将軍・徳川秀忠の4男として生まれる。母は秀忠の乳母の侍女で神尾栄嘉の娘・お静。秀忠はお静の妊娠を知り、正室お江与の癇気を恐れたためか、お静を武田信玄の次女・見性院(穴山信君正室)に預け、見性院に養育された。 お江与の死後、寛永6年(16...

G521:井上頼季源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 赤井為家G525:赤井為家●リンク赤井時家赤井家清 大永7年(1527年)、細川高国に弟・香西元盛を誅殺された波多野元清・柳本賢治兄弟が反乱を起こすと、赤井五郎(忠家)は波多野氏に加勢し、柳本賢治が篭る神尾山城を包囲していた細川尹賢を急襲しこれを敗走させた。その後、阿波の三好政長軍と合流した赤井・波多野・柳本の丹波軍は高国方との戦いに勝利...

G521:井上頼季源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 須田為実G527:須田為実●リンク須田満国須田満親 満国は村上義清と共に武田信玄の信濃侵攻に対抗したが、天文22年(1553年)に武田に敗れ、義清と共に越後の上杉謙信を頼った。以後は謙信の家臣として仕え、永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いに参加している。 謙信没後は上杉景勝に仕え、越中方面の総指揮官となって松倉城に入り、佐々成政と...

G521:井上頼季源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 高梨盛光G526:高梨盛光●リンク高梨朝定高梨高信 治承・寿永の乱において、父・高梨忠直は木曾義仲に従って討ち死にしたが、朝定自身は生き残った。建久年間(1190年頃)、源頼朝に参じて所領を安堵された。この頃は東条荘山田郷・北高梨周辺を支配していた。このとき、ほかの井上一族も共に鎌倉幕府へ参じている。 高梨氏は時代が降るにつれて領土を北方...

G521:井上頼季源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 井上清宗G528:井上清宗リンクG529井上正就井上正任 遠江に生まれる。母が徳川秀忠の乳母であったため、正就も早くから秀忠に近侍した。慶長20年(1615年)1月、1万石加増と同時に小姓組番頭に就任した。 元和8年(1622年)、5万2,500石をもって横須賀藩主となる。この頃より江戸幕府老中職につく。 旗本で幕府目付・豊島信満は、正就...

G528:井上清宗源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 井上清宗 ― 井上政重G529:井上政重●リンク井上政重井上政敞 寛永4年(1627年)12月29日、従五位下・筑後守に叙任。同9年(1632年)12月17日、江戸幕府の大目付(当時は総目付)となる。宗門改役として幕府のキリシタン禁教政策の中心人物であったが、自身も元キリシタンであったとされる。下屋敷が文京区小日向にあり、キリシタンを幽閉...

G521:井上頼季源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 井上光純G530:井上光純リンクG531井上春忠井上元有 天文20年(1551年)、毛利元就の三男で竹原小早川氏当主小早川隆景が沼田小早川氏を相続した際、その側近として隆景を支え活躍した。小早川家文書にある正月の座配立書には永禄11年(1568年)に上座から8番目に記され、一門と同様に「殿」の敬称が付記されている。天正13年(1585年)...

G530:井上光純源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 井上光純 ― 井上光兼G531:井上光兼●リンク井上光兼井上元兼 光兼の祖父・光教が毛利豊元の妹と婚姻して以降、毛利氏と密接な関係を持つようになり、光兼も毛利氏当主に代々仕えた。 永正4年(1507年)、光兼の邸宅に一人の客僧が訪れて念仏の大事を説いたが、当時11歳の毛利元就が父・弘元の側室であった杉大方に伴われて光兼の邸宅を訪れ、念仏の...

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