清和源氏

G521:井上頼季  源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 常田光平 G522:常田光平

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保科忠長 井上光盛
 氏族名の由来ともなった保科の荘は古来からの荘園で、保科氏の祖は長田御厨の庄官を勤めたとされる。このことから古代氏族の他田部氏の系統とする説がある。また「信濃史源考」では他田氏と同祖とされる諏訪氏の庶流としている。若穂保科の広徳寺寺歴では平安時代に川田一帯を支配していた保科氏は一旦絶えて井上氏から分かれた井上忠長が保科氏を再興したとしている。  源平の戦いとして知られる治承・寿永の乱では北信濃の源氏方として平家方と戦いを繰り広げ、平家物語では保科党を率いる井上光盛が横田河原の戦いで源義仲方として参陣して活躍し、信濃源氏の代表格として扱われている。その後は義仲の上洛には従軍せずに源頼朝に従った様だが、甲斐源氏一条忠頼と共に頼朝に危険視された光盛は、元暦元年(1184年)7月に駿河国蒲原駅で誅殺される。