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村上為国 | 村上信国 |
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越前に配流になっていた村上為国とその子信国,基国が、保元元年(1156年)の保元の乱で崇徳上皇に味方し参加。敗戦し囚われたが、妻が後白河天皇の側近藤原通憲の娘であることを理由に赦免された(一説に基国は後白河天皇方で、父の助命を求めたともいう)。平治の乱では藤原通憲(信西)方につき勝利する。 | 治承・寿永の乱に際して信濃国内で挙兵した木曾義仲に従い上洛し、京中守護軍の一人として都の警護の任にあたった。その後、義仲との関係は不和になったものとみられ、法住寺合戦を経た寿永2年(1183年)12月に同じく京中の守護に名を連ねた葦敷重隆や源有綱といった武将らと共に解官されている。以後の動向は不明。 |