安威砦跡

やすたけとりであと(Yasutake Fort Ruins)

【C-SZ139】探訪日:2024/9.8

【C-SZ139】安威砦跡 静岡県掛川市下土方

【MAP】

〔駐車場所〕

   1580(天正8)年に横須賀城主・大須賀康高ら横須賀衆によって築かれた高天神城奪還に向けての砦である。『三河物語』では付城は六砦(高天神六砦)であるが、『横須賀根元歴代名鑑』では、獅子ヶ鼻砦,安威砦,火ヶ峰砦中村砦能ヶ坂砦小笠山砦大坂砦(三井山砦)と、安威砦は七砦のひとつとして挙げられている。また、そのなかで横須賀衆は前半の四砦の普請・守備を任され、苦労したことも記されている。
 高天神城への攻撃は同年9月に開始され、その後の兵糧攻めで翌1581(天正9)年3月に陥落する。
 安威砦は高天神城から東約1.5kmの丘陵地に位置し、北の火ヶ峰西砦とは尾根続きに構えられている(現在、間には道路が通る)。南北約25ⅿの主郭の北側と南側は大堀切で区切られている。西側の腰曲輪状の畑地は遺構かどうかは定かではないという。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1580年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
大須賀康高 H455

 

【C-SZ139】安威砦跡
  

 

【C-SZ139】安威砦跡

 

安威砦縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)

 

【高天神城包囲網】

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南麓の梅枝庵 金刀比羅宮の横または後方から東の尾根に向かう 程なく尾根に出る 北へ進む 谷堀 谷堀 主郭 主郭 主郭(左は谷堀) 堀切 この先が火ヶ峰西砦との間の道路と思われるが進めず 西からの遠景 東からの遠景 東からの遠景 安威砦と火ヶ峰西砦との間を通る道路(東から見る)