小笠山砦跡
おがさやまとりであと (Ogasayama Fort Ruins)
【C-SZ086】探訪日:2022/4.2
静岡県掛川市入山瀬852
【MAP】
〔駐車場所〕 小笠神社の参道入口に駐車場がある。
1569(永禄12)年、今川氏真が立てこもる掛川城(城主・朝比奈泰朝)を攻略するために、標高265mの小笠山山頂に徳川家康の本陣が置かれた。氏真は家康の包囲網を前に和睦,開城し、妻の実家である北条氏を頼り小田原へと移った(この開城が戦国大名としての今川氏の滅亡とされている)。
さらに武田勝頼が1574(天正2)年に攻略した高天神城を奪還するために、家康は1576(天正4)年から1577(天正5)年にかけて高天神城より北に4kmほど離れた小笠山砦を改修するが、補給路遮断を目的として構えた六砦(小笠山砦,能ヶ坂砦,火ヶ峰砦,獅子ヶ鼻砦,中村砦,三井山砦)の中で最大規模のものであった。城域は600mにも及び、その頂からは他の五砦も全て見渡すことができたという。高天神城攻略に際しては石川康通がこの砦を管轄し、高天神城への兵糧や弾薬の補給を遮断した。織田信長から派遣された御使衆4名も小笠山砦に入っている。1581(天正9)年3月、第2次高天神城の戦いで高天神城が落城すると、砦も廃止された。
現在は、曲輪,横堀,土塁などは残されており、神社から山頂方面に登っていくと尾根の北と南にそれぞれ横堀があり、笹ヶ峰御殿と呼ばれる曲輪に出る。この曲輪は北と東に土塁があり、東は堀切で遮断している。西には物見台と呼ばれる高台や空堀,土塁を伴う曲輪などが残っている。