三井山砦(大坂砦)跡
みついざんとりで(おおさかとりで)あと(Mitsuizan [Osaka] Fort Ruins)
【C-SZ132】探訪日:2024/6.11
静岡県掛川市大坂字寺部
【MAP】
〔駐車場所〕
大坂砦ともいう。松平家忠の『家忠日記』によれば、1580(天正8)年3月、徳川方による高天神城奪還に向けての高天神六砦の一つとして普請が完了した。砦の守将は徳川譜代の酒井重忠で、松平家忠も同年10月に「まわり番」として布陣した。徳川方は3つの軍団のうち1つを休ませながら動くシフトを取っていた。家康の本陣が置かれていたという説もある。このほかの高天神六砦(小笠山砦・能ヶ坂砦・火ヶ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦)はじめ、多くの砦が次々と完成し(10月には砦,付城の数は22に達した)、9月には城攻めが開始されたが、その後の兵糧攻めの結果、翌1581(天正9)年3月、高天神城は陥落する。
三井山砦(大坂砦)は高天神城から南2.5km地点の丘陵上に位置し、城域は南北300m以上と広大であったとされる。最高地を主郭とし、高天神城方面に力点を置いた縄張りになっている。北へ延びる尾根上の曲輪の先端に切岸壁と小堀切を設けている。また、主郭北側には段状の腰曲輪があり、下段は空堀であったと伝わるが、現在は茶畑開墾で改変されている。同様に主郭の南側についても180ⅿほどスロープ状に下がり、茶畑開墾により遺構は残されていないが、かつての調査では2ヶ所に空堀が確認されている。
なお、三井山砦の名は、山上に清水が湧く3つの井戸と「三井の大日堂」があったことに由来する。