畑ヶ谷東砦跡

はたがやひがしとりであと(Hatagaya-higashi Fort Ruins)

【C-SZ147】探訪日:2024/9.8

【C-SZ147】畑ヶ谷東砦跡 静岡県掛川市下土方2539

【MAP】

〔駐車場所〕素我神社境内もしくは神社下の道路余地スペースに路駐させていただく。

   1580(天正8)年10月、徳川軍による高天神城奪還に向けて高天神城の最前線に築かれた砦のひとつと考えられる。正式な砦の記録はない。6月にはすでに高天神六砦が築かれていたが、9月の攻撃開始後、周辺の畑ヶ谷砦畑ヶ谷西砦,長谷砦とともに、さらに高天神城へ前進させた砦で、素我神社裏山に「陣場山」の名が残る。また、1580(天正8)年3月16日には、この付近で徳川軍の大須賀勢と武田方の高天神城兵が戦い、本多忠勝軍の日置小左衛門が戦死し、その遺骸が牛頭天王を祀って弔われたことから、付近にあった馬場は「天王馬場」と呼ばれるようになった。
 砦は高天神城の東南東1.2kmの素我神社東の裏山(標高37m,比高15m)に位置する。山頂部を削平した東西31m,南北23mの主郭と、その周辺に数段の腰曲輪がつけられている。また、北側の丘陵先端部には楕円形の櫓台がある。現在に伝わる地名からは、さらに広範囲の砦が想定されるという。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1580年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川家康 TG01

 

【C-SZ147】畑ヶ谷東砦跡
  

 

【C-SZ147】畑ヶ谷東砦跡

 

畑ヶ谷東砦縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)

【C-SZ147】畑ヶ谷東砦跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

素我神社 素我神社 神社の右に登り口がある すぐに主郭が見える 主郭 主郭 主郭 主郭 主郭 主郭