能ヶ坂砦跡
のがさかとりであと(Nogasaka Fort Ruins)
【C-SZ136】探訪日:2024/9.8
静岡県掛川市小貫字能ヶ坂
【MAP】
〔駐車場所〕
1580(天正8)年、徳川家康の命により本多豊後守康重によって構築された高天神六砦の一つである。この頃、武田勝頼は駿東郡の北条氏と対峙し動けず、徳川家康はこの機に勝頼に奪われた高天神城奪還を本格的に展開する。同年3月から6月にかけて高天神六砦の普請が完了し、その後も10月には砦,付城の数は22に達したという。これらにより武田勢の高天神城への兵糧や弾薬の補給は完全に遮断された。その結果、高天神城の城兵は飢えに苦しみ、苦境に陥り、翌1581(天正9)年3月25日、城から討って出るも全滅し高天神城は陥落する。
能ヶ坂砦は、高天神城から北東2kmの標高78.5m,比高42mの丘陵上に位置し、東を通る能ヶ坂越えを抑えていた。砦は南北50mほどの小規模な単郭式であり、北側と南側とは1mほどの段差を持つ。また、大手筋,搦手筋からもそれぞれ腰曲輪を通り主郭の虎口に達するという構造になっている。
ちなみに、この砦においては能が舞われたことがあり、砦に隣接する坂が「能ヶ坂」と呼ばれるようになり、砦自体の名称も「能ヶ坂砦」になったという説がある。