清和源氏
| G105:源 頼光 | 源 経基 ― 源 満仲 ― 源 頼光 ― 源 頼綱 | G146:浅野光時 | 

| リンク | 中川清深・由利維安 | 
| 源 頼綱 | 源 明国 | 源 頼子 | 
|---|---|---|
| 源頼国の五男。母は尾張守藤原中清の娘。頼光の弟頼範の子とする説が提示されたことがある。多田頼綱とも呼ばれる。 | 名は行光。「多田」を号したことから多田明国とも記される。 | 平安時代後期の女官。白河天皇の後宮に奉仕し、その寵愛を受けて官子内親王(清和院斎院)を産 | 
| 源 盛子 | 源 頼憲 | 源 経光 | 
| 平安時代後期の女官。掌侍として堀河天皇・鳥羽天皇・崇徳天皇に仕え、三河内侍(または参河掌侍)と | 兄頼盛と多田荘の相続を巡って対立し、頼憲も「 | 久安2年(1146年)3月9日の夜半に経光の従兄妹 | 
| 多田行綱 | 多田基綱 | 能瀬高頼 | 
| 当初、藤原忠通の下で侍所の勾当として摂関家に近侍したが、後に後白河院の北面武士に加2日に摂 | 多田源氏の惣領であった父行綱は、源頼朝の粛清により累代の所領多田荘を奪われ没落しており、以 | 摂津国能勢庄の開発領主。多田源氏の一族であるが、一族の他の武士達のように京都の情勢に関心を | 
| 能瀬資国 | ||
| 治承寿永の乱の後に没落した多田源氏の一族であったが、父の開発した摂津国能勢郡の所領を継承 |