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由利維平 | 由利維久 | 由利政春 |
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出羽国を本拠地とした豪族で、藤原泰衡の郎党から御家人となったと見られている。出羽国沿岸中部の由利地方の豪族であったと言われる。由利氏は家伝によれば、大中臣良平が源義家に従い由利半郡を賜ったのが始まりとされているが、清和源氏頼光流とする系図もあり、安倍氏説、中原氏説も存在するなど不明な点が多い。字を中八とすることから大中臣氏説が有力とされている。 |
維久は和田の乱に際し、北条氏勢に属して鎌倉の若宮大路で戦った。しかし、かれの放った矢を敵方がとって射返し、その矢が泰時の鎧に立ってしまった。これにより、維久を和田氏に与したと披露するものがいた。戦後、尋問が行われたが、矢に維久の名があり、窮するところとなった。時房の弁護もあったが、結局、所領を召し放たれた。 |
由利政春が西目に浜館を築き全郡の旗頭と称した。しかし、対立していた鳥海弥三郎に急襲されて落城。鳴沢館を新たに築いて拠ったが、正中元年(1324)再び鳥海勢に攻められて落城、切腹したという。政春のあと、政久にいたり由利郡滝沢に領地を得て、滝澤に名を変えたとされるが定かではない。また政春から政久にいたる世系も諸系図によって整合しない。 |
由利公正 | ||
福井藩士・三岡義知の長男として越前国足羽郡に生まれる。嘉永6年(1853)に家督相続。福井藩を訪れた横井小楠の殖産興業策に触発され、横井から財政学を学ぶ。橋本左内らと国事に奔走し、藩主松平慶永から財政手腕を評されて抜擢され、藩札発行と専売制を結合した殖産興業政策で窮乏した藩財政を再建する。 |