志津城跡
しづじょうあと (Shidu Castle)
【C-SZ044】 探訪日:2017/5/6
静岡県浜松市西区村櫛町
【MAP】
御山塚への登り口は城址碑から南西へ少し歩いたところに案内板が立っている。
993(正暦4)年、巡検使として遠江へ下向した藤原共資によって築かれたとされる。 共資が遠江国司となった後も国府の磐田郡見付ではなく、この地に住み続け1035(長元8)年に亡くなった。背後の丘(御山塚)の上に葬られたという。志津城は、共資の子で井伊谷の地蔵寺(龍潭寺)で育てられた共保が井伊谷への移住を願い出たことにより、1010(寛弘7)年に廃城になったといわれる。
現在、城山は浜名湖を埋め立てるために削られたとされている。御山塚が当時の城の一部であったかどうかは不明だが、城址らしい平坦面と段がいくつか残されている。
【史跡規模】 |
【国宝】 |
関連時代 | 平安時代:中期 |
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関連年号 | 993年・1010年・1035年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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藤原共資 | F430 | 藤原共保 | F440 |
▲城址碑
▲説明板
▲御山塚入口
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▲藤原備中守共資公之墓
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▲御山塚全貌
▲御山塚遠景