大沼城跡
おおぬまじょうあと (Oonuma Castle)
【C-AC148】 探訪日:2017/6/4
愛知県豊田市大沼町字八沢
【MAP】
文明年間(1469年〜87年)に木村安信によって築かれたとされる。足助七城の一つに数えられる。安信が没すると、嫡男の木村信元が城主となったが、1574(天正2)年、武田氏によって攻められ落城する。翌1575(天正3)年、大給松平乗正の二男近清が木村信元の養子となって大沼城主となった。近清が没すると嫡男近正が家督を継いだが、1582(天正18)年の徳川家康関東移封に従い、上野国三ノ倉に五千石で移り、大沼城は廃城となった。
本丸は南西にやや張り出した部分で周囲に帯曲輪があり、西の帯曲輪は北端に土塁が付く。ここから南の登城路沿いに二の丸,三の丸がある。西の谷筋にかつて城内に水を引いていたという水場がある。主郭の北東鞍部が堀切になっているが、この上には「お犬さま」を祀った祠があり、ここも曲輪となっている。「お犬さま」とは、明治時代に連続した不審火を治めるため美濃串原村の「お犬さま」を勧請して祀ったものである。
近くの代官屋敷には大沼城主の供養塔が残されている。また、大沼城の西側にある洞樹院は城主の菩提寺であり、木村父子,松平近清が葬られている。
【史跡規模】 |
【国宝】 |
関連時代 | 戦国時代 |
---|---|
関連年号 | 1469〜87年・1574年・1575年・1590年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
木村安信 | 木村信元 | 松平近清(親清) | MT25 | ||
松平近正 | MT25 |
登城口がはっきりしていてありがたい。曲輪跡もわかりやすく洞樹院側の「大沼
八十八ヶ所弘法」より登りやすい。
▲説明板
▲
▲登城口
▲三の丸跡
▲三の丸跡
▲本曲輪
▲本曲輪
▲
▲
▲
▲お犬さま
▲