<神武朝>

K004:孝元天皇  孝元天皇 ― 彦太忍信命 K008:彦太忍信命

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彦太忍信命 武内宿禰

 第8代孝元天皇と、伊香色謎命との間に生まれた皇子である。伊香色謎命は、『日本書紀』では大綜麻杵命の娘、『古事記』では内色許男命の娘。
 『日本書紀』では、孝元天皇7年2月2日条において彦太忍信命は武内宿禰の祖父であるとする。同書では、景行天皇3年2月1日条において武内宿禰の父が屋主忍男武雄心命である旨が見えることから、屋主忍男武雄心命は彦太忍信命の子にあたる。
 一方『古事記』では、木国造の宇豆比古の妹の山下影日売を娶って建内宿禰(武内宿禰)を産むとして、建内宿禰の父にあてる。また同書では、意富那毘(倭得玉彦命)の妹の葛城高千那毘売命との間に甘美内宿禰を儲けたとも記されている。
 また中臣氏の各種系図には、久志宇賀主命の娘である稲津媛命が彦太忍信命の妃とされる。
 『住吉大社神代記』によると、和加倭根子意保比比乃命(開化天皇)の子として彦太忍信命の名が挙げられている。また、葛木志志見興利木田忍海部刀自という娘がおり、牟賀足尼命と嶋東乃片加加奈比女の子である田乃古乃連と結婚し、古利比女,久比古,野乃古連を産んだという。

 景行,成務,仲哀,応神,仁徳の5代の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。
 『日本書紀』景行天皇紀では、屋主忍男武雄心命と、菟道彦(紀直遠祖)の女の影媛との間に生まれたとする。孝元天皇紀では、孝元天皇皇子の彦太忍信命を武内宿禰の祖父とすることから、武内宿禰は孝元天皇三世孫にあたる。なお、応神天皇紀では弟として甘美内宿禰の名が見える。
 『古事記』では、孝元天皇皇子の比古布都押之信命(彦太忍信命)と、宇豆比古(木国造)の妹の山下影日売との間に生まれたのが建内宿禰(武内宿禰)であるとし、孝元天皇皇孫にあてる。同書においては、異母兄弟として味師内宿禰(甘美内宿禰)の名が見える。
 子に関して、『日本書紀』では平群木菟宿禰のみ親子関係が明示されている。一方『古事記』では、7男2女と後裔27氏を掲載する。
 なお武内宿禰の系譜に関しては、武内宿禰が後世(7世紀後半頃か)に創出された人物と見られることや、稲荷山古墳出土鉄剣によれば人物称号は「ヒコ → スクネ → ワケ」と変遷するべきで襲津彦の位置が不自然であることから、原系譜では武内宿禰の位置には襲津彦があったとする説がある。
 武内宿禰の生まれについて景行天皇紀によると、天皇は紀伊に行幸して神祇祭祀を行うとしたが、占いで不吉と出たため、代わりに屋主忍男武雄心命が遣わされた。そして武雄心命が阿備柏原にて留まり住むこと9年、その間に影媛との間に儲けたのが武内宿禰であるという。また成務天皇紀では、武内宿禰は成務天皇と同日の生まれ(景行天皇14年、月日不詳)とする。その後、景行天皇(第12代)から仁徳天皇(第16代)までの5代に渡り武内宿禰の事績が記されている。