波多(羽田)八代宿禰は弟の巨勢小柄宿禰とともに神功皇后による三韓征伐に従う。応神天皇3年(392年)には、百済の辰斯王が天皇に対して礼を失したため、弟の紀角宿禰らと共に百済に遣わされ、その無礼を詰問する。百済は辰斯王を殺して謝罪したので、八代宿禰らは阿莘王を王に擁立し帰国したという。また、17代履中天皇后である黒媛を八代宿禰の娘とする説もある。