内藤重清,清長墓所〔誓願寺〕
ないとうしげきよ,きよなが ぼしょ (Graves of Shigekiyo and Kiyonaga Naito [in Seigan-ji Temple])
【K-AC136】探訪日:2020/11/13・2021/1/31
愛知県安城市姫小川町姫149
【MAP】
〔駐車場所〕
小松山誓願寺は内藤氏の屋敷地に隣接していたため菩提寺となり、屋敷地にあった宝筐印塔2基を当寺に移して内藤氏の墓とした。その一つが内藤重清の墓である。「大永三年」(1523年)と刻銘されている。重清は1493(明応2)年の井田野合戦では姫小川城主として安祥城の松平親忠と争うが敗れて親忠に仕えることになる。
すこし離れた所に内藤清長の墓がある。清長は松平清康,広忠に仕え、1542(天文11)年に織田勢が上野城を攻めた際には甥の内藤正成ら一族と共に防戦し、数十人の織田勢を討ち取ったという。しかし、1563(永禄6)年の三河一向一揆では主家から離反して一揆側に与したため荻城に蟄居となりこの地で1564(永禄7)年に没したという[享年64]。清長の墓所は豊田市の隣松寺にも存在する。
なお、内藤家はそれ以来、松平,徳川氏のもとで活躍して譜代大名となる。
1801(享和3)年以降は毎年、延岡藩大名となった内藤家からは先祖供養料が届けられるようになった。
【史跡規模】 |
【指 定】安城市指定史跡(1965年11月3日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1523年・1564年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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内藤重清 | F910 | 内藤清長 | F910 |